鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
426/475

べき遠景の中にある諸モチーフは,墨の諧調が溢れる「直線」の単純さに取替えられたのである。この墨法は,江南の果てしない風景に相応しい空間処理の一種と言えよう。つまり,モチーフ描写の明確性よりも,積み重ねた墨の微妙な濃淡変化による視覚効果が画面全般において担う役割こそが求められているのである。簡単に言い換えれば,「寒林重汀図」の特殊な遠景表現はモチーフの一種としてというよりも視覚効果の意味が蓬かに強かった。これに対して,画面の枠の中に水村の景観が完結した「水村図」の構図において,趙孟顆は,「寒林重汀図」の遠景部分を一つの明確なモチーフとして解釈してしまった。その証拠の一つは,この平遠たる水村が画面の枠を明確に意識して遠景の連山も含み,主要な景観となった汀州もその枠の中で完結しているように描かれたことである。「水村図」は「寒林重汀図」のように画面の枠を無視して描線の延び延びした勢いが限りなく続くことはない。また,趙孟穎が渇筆をこの作品に全面的に導入したことである。「寒林重汀図」を受容した際に,その遠景表現で本来は水墨のにじみでなければ成り立たないような墨法的根本性が放棄されて,従来江南山水画に強く主張された微妙な水気と光の変化を表す墨の諧調が枯萎してただの重複する線描に変わった。或いは,趙孟穎の復古指向に,南宋期に頂点に達した水墨画の世界に反抗しなければ立場を示させない宿命にもよるのかが,彼が江南山水画の形式を確立させた董源の絵画を再現するにあたって,その中の水墨的な要素をまず放棄せぎるをえなかったからであろうか。或いは,彼が南宋期に頂点に達した水墨画の世界とは一変するような,光の射した明朗な空間をつくろうとする意欲に駆られたために,李公麟の文人墨戯の一種とされるべき渇筆を起用したのであろう。李公麟と趙孟頻は主に画馬の伝習関係について指摘されているが,その具体的な内容ははっきりと知られていない。現に伝わっている李公麟の「五馬図巻」と趙孟頻の「二羊図」において,動物の毛を描く場合,渇筆によった謹細な描線を用いるのが両図の共通した手法である。この手法は恐らく文人的な理屈を極めた李公麟の白描的墨戯とされてよかろう。筆の毛を生かした最もオリジナルの線の美しさを追求する白描画にとっては,「毛」というモチーフを描くことは即ち,紙の上に「箪」という素材の「姿」を最も素直な形で再現する,毛が毛を描き出すという厳密な作業とも言えよう。その際,筆につく水分や墨分などの他の要素を最小限に制限することは当然であろう。さらに,この制限によって,渇筆のサラサラした墨痕が紙の白さと相侯った特-417-

元のページ  ../index.html#426

このブックを見る