殊な視覚効果によって「毛」の光沢まで表現できる。因みに,白描画における輪郭の線的意味とは異なる描写に達しながら,白描画の主張する簡潔さをも保つことができることから,渇筆は白描画とは特定の関係を持つ墨法となった。その上に,渇筆の毛描写に光沢感があることによって,白描画にほぼ不可能とされた光の表現も期待できるようになった。こういった渇筆の描線のはからずもの効果によって,李公麟は「五馬図巻」のような白描の畜獣画の制作に楽しんだことであろう。趙孟頻の「二羊図」〔図10〕は,二匹の羊が水墨と渇筆の違いを対照するかのように並べて描かれており,李公麟の「五馬図巻」に師倣した制作に違いない。渇筆の絵画的な特性について彼は李公麟の作品に接して習得したものと想像される。或いは現在北京故宮博物院の伝李公麟「放牧馬図」の土披を描く渇筆の筆線の方が,趙孟顆の「水村図」の汀州表現のそれより李公麟の渇筆法に近いかも知れない。想像される李公麟「放牧馬図」の原作ならば,渇筆の紙上に引いた墨痕はもっと渇いて控えめで土や沙のサラサラの質までを再現したであろう。「水村図」の遠山や汀州の描方に用いられた渇筆の線描は即ち,趙孟頻がそれを董源「寒林重汀図」の遠景における積み重ねの水墨的な筆線に取り換えて出来上がったのであろうと思われる。その渇筆の導入によって「水村図」は一変して従来の江南山水画と違って空澄した画面に変貌した。今回,「水村図」の実物に即して精査したところ,右側の手前に配置された最近景の淡墨を除き,全画面が渇筆を使用したことはまず確認できた。中でも米友仁や牧硲の水墨風の描法に連想を起こす没骨法の樹木すら渇筆を用いたことが分かった。次に本図の主要部である汀州の描方は筆の線的な積み重ねによるものなのか,或いは筆腹による墨面であるかという疑問点は,実物の調査で前者であることと判明した。つまり,この線描と渇筆との二つの要素は「水村図」の逆説的な性格の基調でもある。趙孟頻の「水村図」のような作品が元の四大家とその後明代の南宗画に決定的な影響を与えたことにおいて,董源風という様式的な一面の他に,李公麟の白描画と深く関係する渇筆の使用を導入したという墨法的な一面も決して無視できないものであると強調したい。なお,渇筆への注目は筆者が関心を持っている南宋梁楷の白描画研究から得たものである。梁楷を介して上は彼と師承関係のある北宋の李公麟から,下は彼との書画合巻作品が伝わっている元時代の趙孟顆へ,この渇筆の流れが実に南宋を通して静かに続いているのに気付いた。趙孟頻の復古運動において,梁楷が継承した李公-418-
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