鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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② 「真人図」の主題についての再検討一李卓吾「童心説」との関連から研究者:三重県立美術館主任学芸員山口泰弘0序一「真人」の解釈をめぐって「真人図Jと称される一群の洋風人物図がある。簡粗な上衣を付けたひとりの童子が正面向きの半身像で描かれるのが一群に共通する図様である。一見したところ,その容貌は異国人風であるが,それ以上に,この童子のたたえる宗教的神秘性のようなものが,江戸時代洋風画のなかでその存在を際だたせている。「真人図」は,はやくからこの作品に落目して資料の収集につとめていた金原宏行氏によって,昭和53年(1978)までに14点の存在が確認され,昭和63年(1988)には岡戸敏幸氏によってさらに2点が加えられ,現在のところ併わせて16点が知られている(注1)。そのなかでいちばんはやくから知られていたのは,昭和5年(1930),西村貞氏の発見になる静岡県大須賀町撰要寺所蔵のもので,この画に「真人図」という軸書があることから,以来「真人図」と呼びならわされている。しかしこの「真人」なる語に対しては,研究者によってふたつの対応のしかたがみられる。ひとつは,単なる付会とみて,「真人」の意味論的な究明を無視するもの。またひとつは,この語の意味を積極的に画の主題と関連させて捉えて図像を解明していこうとするもの,である。もとをただせば,現在知られている16点も,そのすべてが「真人図」と呼ばれていたわけではなく,「蘭婦人真像」「長英高野医伯之像」「釈迦十九歳出家の像」「八方にらみの観音」等々さまざまの伝承を付帯しつつ伝えられてきたのであった。もともと「真人図」と呼ばれた可能--421-大久保一丘「真人図」(部分)絹本著色79.OX28.0cm 東京国立文化財研究所蔵

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