IV まとめdの構成に該当するのは,⑬⑪⑬⑮などである。このうち⑪の初折表を例にとると,下絵では右側前景に雪のかぶった樹木,太陽・水から上がる蛙などを配し,左下方に田地,上方に遠山をつなげ,全体として右寄せ構図のまとまりのよい景観を描いている。これに対する連歌は,春の日や染出す雪の下紅葉かすみにもる>山水のすゑ..... 明わたる田中のかはつ瞥たて>昌比となり,それぞれが三句に分散して詠まれているのである。連歌から発想して絵が組み立てられたというよりは,逆に下絵のような絵柄をイメージして,それぞれの句が詠まれたのではないかと思われる程の対応ぶりである。逐語的・並列的に連歌と絵が一致するのではなく,絵の方が連歌に先じているような対応情況が生じている。この問題については,次章のまとめで再び考察する。また他の⑱⑬⑮についても,初折表の絵と連歌の関係で同様のことが指摘でき,年記より天正9年(1581)以降の作例ばかりである。く初折裏以下の下絵と連歌〉⑭〜⑮の初折裏以下の下絵は,殆ど植物意匠を近接的に描いたものが多い。桜・梅・柳・燕子花・芦・卯花・秋草・楓・雪笹・雪柳などの伝統的なモティーフ以外に,水仙・葡萄.芭蕉など室町時代以降に日本の画壇に登場した新しいモティーフも含まれる。連歌と対応するのは⑮のセットの中の「三保松原」「住吉太鼓橋」などの名所主題に限られ,原則としてテキストとは無関係の素材が四季順に描かれている。これらはむしろII章で大別したd,即ち連歌と関係のない下絵の懐紙群と同じグループに入るものということができる。以上,連歌を下絵の関係についてこれまでの調査結果を述べてきたが,その関係は非常に複雑なもので,これらを時間軸に乗せて発展過程のストーリーを構築していくことは困難である。ただ“三の物”と初折表の対応関係については,初め15■16世紀において発句のみの対応だったのが,16世紀後半以降三句に広がっていったらしいこと。また三句が初折表の下絵に描かれるのに際し,それぞれが構図上,右・中央・左の三つのブロックに一句ずつ逐語的に描かれていたものが,二句ずつの組み合せで中央や右側に描かれるようになり,天正年間後半以降三句が統一的に構成され,当時の紹巴右運-432-
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