鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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屏風絵に近い右寄せ構図をとるようになっていったという大筋は,呈示できるように思う。そしてこのような連歌と下絵の密接な関係の進行情況から,連歌が連衆に詠まれていく時,視覚的なイメージが極めて重要な役割をもち,そのイメージが懐紙が浄書され,下絵が施される際にも強い影響力をもっていたのではないかと思われてくる。即ち,両者の関係は初め,連歌→絵という一方的なものだったのが,絵→連歌という逆の関係にも進み,両者の分ち難い結びつきの中で,“三の物”と密接な対応をもつ絵懐紙が出現していったと見るのである。連衆も殆ど紹巴,昌叱を中心とする永禄以降の連歌界の統率者が名を連ねており,金銀泥絵の表現も一定した様式を示している。ある環境における連歌師と下絵制作者の共同作業の実態がここからほの見えてくる。さらに今後は実態の解明に意を注いでいくことにしたい。-433-

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