鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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④ 中世蒔絵の基礎研究研究者:大阪市立美術館学芸員土井久美子中世の蒔絵は貴族や武士など限られた上層階級の人々に供されるものとして制作された。したがって特に身の回りの品々を納め,手回りに置いた手箱や,和歌や詩歌の場で用いられた硯箱の意匠は中世の上層階級の吉祥や文学に対する関心を如実に示しており,また当時のやまと絵や料紙装飾との関連も窺われる。本研究は中世の手箱,硯箱,経箱,袈裟箱,香炉など,蒔絵による加飾を伴う漆器を対象に詳細な調査を行い,全面および細部の拡大写真を撮影し,技法や意匠,方量等の詳細な基礎データを収集し,これを総合的に比較検討,編年し,最終的には美術史に於ける蒔絵の展開を明らかにすることを目的としている。対象となる作品は制作された時期の明らかな若干の作品を含め数百点を考えているが,調査は継続中であるが,本稿では現在までに大方の調査を終えることができた手箱について明らかになったことを簡略に述べておきたい。1.手箱について「手箱」の語は『栄花物語』,『紫式部日記』,『大鏡』など平安時の中期の記述に散見される。平安時代の蒔絵遺品では「片輪車蒔絵手箱」(国宝平安後期東京国立博物館),「野辺雀蒔絵手箱」(重文平安後期金剛寺)の2点が従来知られてきた。しかし形状,方量が鎌倉時代以降のものとは異っており,また「片輪車蒔絵手箱」についてはその意匠から,法華経を納める経箱として造られた可能性も指摘されている。もっとも平安時代の記述によれば,『紫式部日記』は,薫物や冊子を,『大鏡』は扇を,入宋した僧裔然の進物品を記す『宋史』は布を,『名月記』は仏像を収納する器物として「手箱」が記されているため,広く手回りの品々を納める箱として用いられていたことが窺われ,その器形についてもより柔軟な解釈がなされても不思議ない。現存する鎌倉時代以降の手箱は合口造で,一般に一枚から二枚の懸子を納める。内容品については,ほぼその全てが保存されている「梅蒔絵手箱」(6 国宝鎌倉時代)の例をあげれば,二枚の懸子に白銅鏡(一面),櫛(二十二枚),手元結(ニ本),銀紅筆(一本),銀眉造(-本),銀鋏(一個),銀錆(一個),銀絆(一本),銀髪飾(四枚),銀菊形婉(一個)などの化粧道具が納められている。-434-

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