今回調査の対象とした手箱は所在が確認できる約70合で,うち「浦島蒔絵手箱」(鎌倉時代13世紀シアトル美術館),「長生殿蒔絵手箱」(鎌倉時代14世紀ボストン美術館),「饉に菊蒔絵手箱」(鎌倉時代14世紀ボストン美術館),「枝菊蒔絵手箱」(鎌倉時代14世紀クリーブランド美術館)の在外四点については今後調査を行いたいと考えている。現在調査を終了した四十四合は別表のとおりである。さて四十四合の手箱のうち,銘によって制作年が明らかなものは,安貞二年(1228)に日光輪王寺に納められた「住之江蒔絵手箱」(2 重文輪王寺)のみである。従来,甲盛や胴張りの有無,身と蓋の高さの比率など手箱のプロポーションが,その編年の手掛とされてきた。詳細の検討は今後の課題とするが,ここでは便宜上従来の研究成果によって手箱を一応編年してリストとした。その結果鎌倉時代の作品が十三合,鎌倉から室町時代にかけての過渡的な作品が二合,そして南北朝時代の作品が十八合,南北朝から室町時代にかけてのものが二合,さらに室町時代の作品が九合であった。2.熊野速玉大社の手箱南北朝時代の作品のうち,熊野速玉大社の古神宝として伝わる十三合の手箱のうち,大社が所蔵する十一合(20■30国宝)と,京都国立博物館が保管する一合(31国宝)を調査する機会を得た。これらは従来,江戸時代に書き写された二,三の記録から,明徳元年(1390)の寄進によるものと推測されている。しかし一群の手箱は,他の南北朝時代の手箱とは,形,技法,そして対象を近接拡大描写する意匠などかなり異質な特色を示しているため,蒔絵技法や,金粉などの材質も含め,今後十分検討し,その特質について改めて考察したいと考える。3.蒔絵の技法調査対象とした作品のうち多くは金銀を多用し,高蒔絵や研出蒔絵,切金,金貝などを併用する高度な技法が用いられていた。余白を大きくとった作品は「菊枝鳥蒔絵手箱」(33 南北朝時代大山祇神社),「千鳥蒔絵面箱」(43重文野村美術館後世足を付けて面箱として転用したもの)など,後述する散らし文様の作品のうち,地蒔粉が密に蒔かれていない若干であった。その一方で,黒漆塗の余白を大きく残す,金蒔絵の器物は,『紫式部日記絵詞』(国_435-
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