箱はいずれも扇を散らすという,散らし文であるが,一つ一つの扇の中に精緻な景物か描かれており,叙景文の特徴を合わせ持っている。手箱の主題については,長生殿や蓬莱,亀甲などの吉祥図様を描くものや,特定の詩歌の風景を表現するものがみられる。こうした意匠としては平安時代に広く流行し,中世蒔絵の硯箱にも多様される芦手絵がある。「住之江蒔絵手箱」(2)' 「梅蒔絵手箱」(6)' 「扇面散蒔絵手箱」(10)' 「長生殿蒔絵手箱」(11)' 「秋野蒔絵手箱」(15), 「山水蒔絵手箱」(18), 「梅月蒔絵手箱」(41), 「扇面蒔絵手箱」(37)などがそれで,また「山水蒔絵手箱」(12)は歌枕の風景を,「源氏物語蒔絵手箱」(19)は物語の風景を象徴的に表現している。さらに表と蓋裏や懸子など内側の意匠についてみてみたい。文学との関わりの深い硯箱の場合,蓋表のみならず蓋の裏を返すことまでを効果的に用いて,象徴的に和歌や詩の情景を表現するが,この手法は手箱には殆ど見られない。手箱の場合,蓋裏は表の図様と同一主題の図を描くことがしばしばで,また表に秋野や亀甲が表現される場合,その蓋裏に洲浜に松・鶴,亀など,いわゆる蓬莱を描くことがある。このような吉祥図様は手箱の内容品である和鏡と対応することもある。手箱は硯箱の場合とは異なり,むしろ独立した蓋表と連続する四側面,あるいは隣り合う二つの側面を,効果的に用いることにより,より広い情景描写が行なわれていることが特筆される。以上中世の蒔絵について,調査が終了している手箱について気づいたことを述べた。手箱については未調査の作品についてデータ収集後に,その成果をまとめたいと考えている。また調査を進めてゆく上で,期せずして見いだすことのできた若干の近世初期蒔絵についてもいずれ稿を改めたいと考える。(一部については平成5年度美術史学会の全国大会に於て口頭発表した。)-437-
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