⑤ 南イタリア(プーリア地方)における中世壁画の研究研究者:金沢大学教育学部助教授宮下孝晴平成2年度の鹿島美術団の助成金を受けて,パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂におけるジョットの壁画技法の研究を実施した後,フレスコ画(buonfresco)の完成に至る中世の壁画史に強い関心をもちました。その後の予備調査で確認できたことは,ジョットを生んだ中部イタリアのトスカーナ地方でさえ,技法的にはアドリア海沿岸地方を経由してのビザンチン美術の濃厚な影響を受けているということでした。たとえば,ピストイアのサン・ドメニコ教会にある『傑刑図』は,現在のところブオン・フレスコ画の技法を認識した上で制作された最初の壁画(1275-80:金沢大学大学教育開放センター紀要11号で論考)ですが,これは図像学的にも,様式的にも(トリエステに近い)アクイレイア大聖堂内のクリプタに描かれた『傑刑図』(12世紀後半)と類似しています。時代と距離の隔たりを越えて,両者には密接な関係があることは事実です。5世紀以来,ビザンチン美術の間断的な影響を受けたアドリア海沿岸における中世壁画の系譜に関する全体像を描かないかぎり,ジョットに到達することは不可能です。しかし,予備調査の結果,アドリア海沿岸地方で最も多くの中世壁画をのこしているプーリア州では(アドリア海沿岸ではありませんが,カンパーニア州でも),修復保存の予算の関係からの中に放置されたままの状態にあることがわかりました。第二次大戦でベネディクト会(修道制を創始した)の総本山であるモンテカッシーノが消失,貴重な資料が失われたことは惜しまれますが,その影響下に制作されたイタリア最大のロマネスク壁画の傑作サンタンジェロ・イン・フォルミスでさえ,修復保存の対策は遅々として進んでいない状況なのです。カンパーニア州,バジリカータ州,プーリア州などの南イタリアは10世紀前後の中世壁画の宝庫でありながら,系統的な研究が進まないままに保存の対策もほとんど立てられていません。スタッコ,ないしストラッポの壁画保存技術によって,博物館に保管されているものは,おそらく1パーセント程度だろうと思います(その博物館の保管環境も不充分であることを実見すれば,壁画保存への危惧はいやが上にも高まります)。1960年代に学術的な調査が行われたものの__ー大半は荒地-439-
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