鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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17世紀末から18世紀初頭にかけて,フランス室内装飾の分野で流行したアラベスク文在する。つまり,第一義として装飾枠を形成しながら,その幾何学的な余白を空間化することによって架空の3次元空間を出現させ,具象的なモチーフ(ここでは中国人や怪鳥など)を活躍させる舞台を提供する,いわば感覚的なだましの手法が用いられ,この仕組みが重要な役割を担っている。それ自体は本来アラベスク装飾およびロカイユ装飾の語法のひとつであるが,ピュマンではシノワズリーと結びつくことによって,装飾と空間の境界のみならず,人間と動物の境界をも曖昧にし,物と物との縮尺率を自在に変化さる,変幻自在な世界の前提を形作っている。そして,この西欧の造形的伝統の均衡をくつがえすことによって生まれる発想上のファンタジーこそ,シノワズリーのもうひとつの可能性と思われる。そもそも,シノワズリーというジャンルは装飾様式と切り離しがたく結びついている。もちろん陶磁器や漆工芸品,衝立や扇子といった中国産のあるいは中国風の調度品が装飾品そのものとして流行したことは言うまでもないが,描かれたシノワズリーについてもその用途は,タピスリーや布地といったテキスタイルの図案,中国風の部屋の壁画を飾るパネルやタブローが主流となる。それは他の正統な西欧の油彩画のジャンルとは異なり,当然テキストの規制など論外で,また写実という理論の枠からも離れ,装飾モチーフとしての自由さを十全に活用できる可能性を秘めた視覚上のジャンルであったと考えられる。とりわけ,18世紀の装飾モチーフが自由な発想の温床となったことの前提としては,様の独自の展開が注目に値する。当時フランスで一般に「アラベスク」と呼称された装飾様式は,古代壁画装飾の発見によって復活し,16,17世紀を通じて,イタリアの宮殿装飾に好んで用いられたグロテスク装飾を源流とする。フランスでは,すでに16世紀にフォンテーヌブローにおいて用いられセルソーJaquesAndrouet du Cerceau やミニョンJeanMignonによってグロテスク装飾のモチーフ集が出版されている。18世紀前半期のアラベスク装飾に重要な関わりを示すのはルイ14世の室内装飾家として活躍するベランJeanI Berainのグロテスク装飾〔図2〕である。よく知られるとおり,グロテスクは曲線状の文様と動物,人間,怪獣,仮面などを左右対称に組み合わせた装飾パターンを特徴とするが,ベランのグロテスクは中央に置かれた構築物のなかに神話的モチーフ(アムール,ヴィーナスなど)を配し,はぼ左右対称の規則的な植物文様の枠組みに,中央の寓意に関連したわずかずつ姿勢の異なる獣類(プットー,-445-

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