鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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① わが国で展開した仏教説話絵にみられる表現の諸相の基礎的研究研究者:奈良国立博物館学芸課美術室長梶谷亮治わが国の仏教説話絵のうちで,仏伝関係のしめる位置が大きいことは明らかであるが,その仏伝関係の美術の展開のあとをたどってみると,いくつかの問題点があることがわかる。わが国に知られた,主な仏伝の経典ではまず『過去現在因果経』(劉宋求那践陀羅訳,444-453年漢訳)があげられる。この経典は,まとまった漢訳仏伝としてはおそらくもっとも早い。釈迦の前世である善慧仙人が燃燈仏から授記を受けるところから,釈迦の誕生,試芸,三時殿の遊楽,納妃,四門出遊,出家,山林苦行,降魔,成道,頻婆娑羅王帰仏,迦葉等の帰依などの内容をもっており,いわば仏伝の前半の部分で終始していて,涅槃等の後半の重要な出来事にはふれない。ついで,『仏本行集経』(隋闇那硼多訳,587-592年漢訳)がある。ただし本経典の内容も『過去現在因果経』に近く,仏伝の後半を欠く。一方,釈迦の晩年から入滅にいたる過程を叙述した経典としては,『大般涅槃経』(東晋法顕訳),『仏般泥恒経』(西晋白法祖訳)などいわゆる涅槃経の類がある。遺品から見れば,百橋氏の研究にあるように,北涼から北魏.隋までの敦煙壁画には,仏伝の浩涌な作品は残されず,降魔と涅槃を中心としたものが多い。ここで問題となるのは,中国では早くから各種の仏伝経典から必要な部分を抜き出し釈迦の一生を通して理解できるように編纂された,いわば仏伝文学と称される資料が成立していたということである。中国の仏伝文学の代表的な作品は,『釈迦譜』(梁僧祐選)である。『釈迦譜』は中国仏伝文学の最初のものとして評価が高い(僧祐445-518年)。これは釈迦の前世から説き起こし,下天託胎から降魔成道,さらに諸弟子の出家,三道宝階説話,舎利弗と牢度叉との戦い,釈迦が竜王のために石窟に影を留めたこと,などの説話を挿入しつつ,涅槃(迦葉接足,釈迦金棺出現),分舎利,起塔などについても詳細に語る浩諭なものである。この外にも『経律異相』(516年成立)や『法苑珠林』(668年成立)の該当部分があり,独立したものでは,唐の道宣の『釈迦氏譜』(665年成立)や,おなじ道宣の『釈迦方志』(650年成立)がある。これらの経典・文学はわが国の天平時代にはすでに知られている(『正倉院文書』)。わが国上代では『絵因果経』が複数描かれており,その残巻が今日も伝わるという-453-

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