鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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ことは周知である。同時にまた,そうした仏伝に対する理解を背景に大画面の仏伝図が描かれたことも推測されている。美術とテキストとの関係にのみ注目すると,仏伝の美術は,おそらく当初から,『過去現在因果経』に取材した絵因果経のような,根本のテキストにおのおの直接対応する作品と,一方ではおそらく仏伝文学にしたがった,経典と作品との中間にあるところのもう一つ別のテキストにしたがった作品とが並んで制作されることになったことと想像される。さて,最近の説話文学研究の現状によると,中国における例に着目して,仏伝絵画の場合も,直接経典によるもののみではなく,俗講などに用いられた変文と絵画(イメージ)との関係を重視した研究が盛んである。仏伝では10世紀ごろに成立した『太子成道経』(P2999)が知られているが,このうちに興味を引く説話がある。すなわち『太子成道経』には,『太子は王と田園に遊んだところ,そこで労働につかれた農夫や,鳥に食される虫を見て哀れみの心を起こし,閻浮樹下に坐して欲界の苦悩を思念した。大王は日頃の太子の憂悶を心配し,車匿に馬を用意させて太子を遊観に出した。かくて,東門にて家に産婦がいるために周章して走っている男に会い,南門にて老人に会い,西門にて病人に会い,北門にて死人を見,ついで城門から出ようとしたおりに僧に会い歓喜する。』(黒部通善氏による)という一節がある。説話文学の研究者からも注目されている場面であるが,その理由は,『過去現在因果経』をはじめとする仏伝経典は,四門出遊の際には東門で老人に会い,南門で病人に会い,西門で死者を見,北門で沙門に会うとするのを通例とするが(すなわち経典では老病死と沙門に出会うこと以上は記していない),『太子成道経』に限らず仏伝変文の四門出遊説話はすべて,太子は四門に出遊して,生老病死を見たとするのである。すなわちここでは生(苦)を観ずることが増している。この点に関連して,わが国の資料の中にも注目すべき事例があることが報告されている。著名な『栄花物語』巻第十七おむがく(1022年)の記事で,(法成寺扉の絵)「扉押し開きたるを御覧ずれば,八相成道をかいせ給えり,繹迦佛の摩耶の右脇より生れさせ給て,難陀・践難陀,二つの龍の空にて湯あむし奉りたるより始めて,悉達太子と申て,浮飯王宮にかしづかれ給ひしに,御出家の本意深くおはしますを,父の王これをいといみじき事におぼして,隣の國々の王の女を,五百人添へ奉り給へれ-454-

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