ど,些それに御心もとゞまらねば,「四方の園・林を見せ奉らん」とおぼして,百官ひきて出し奉らせ給に,浮居天髪じて,生老病死を現じて見え奉り,御年十九壬申ノ歳,二月八日夜中に出で給ひて,出家せさせ給て,御厩の馬を徒に車匿が率て蹄り参りたれば,王・夫人,そこらの采女,宮の内ゆすり泣き,また降魔,成道,轄法輪,小刀利天に昇り給て,摩耶を孝じ奉り給ふ,娑羅雙樹の涅槃の夕までのかたを書き現させ給へり。柱には菩薩の願成就のかたを書き,上を見れば,諸天雲に乗りて遊戯し,下を見れば,紺琉璃を地に敷けり。」(岩波書店日本古典文学大系本による)とあるものである。これは道長の法成寺の扉に描かれた仏伝図ーいわゆる八相成道図の記述であるが,明らかにここで生老病死を見たといっているのが注意される。これに少し遅れる頃の『成尋阿闇梨母集』(1071年成立)にも,北宋にわたった息子成尋への思慕と仏伝が重ねられた記述で,「昔,太子花園に遊び出で給ふには,四面の門に生まるる者を見しとて帰りて,今一つの門におはするに,老いてゆゆしげなる者を見る。また帰りて次のに病する者を見て帰り,次のに死ぬる見て帰り給ひて後に,夜出でておはしけれ。」(講談社学術文庫本による)とある。成尋の母のこの言説は,当時の仏伝説法による知識によるということが文脈から知られるが,これらの例から,遅くとも11世紀後半には,わが国でも仏伝における四門出遊の際に生老病死を見るという,経典から離れた説話が成立していたことが知られる。とくに『栄花物語』の場合には,法成寺の扉絵に言及してそれが語られているのが注意される。ただし,このことがじっさい法成寺の扉に,経典による老病死沙門型ではなく,生老病死型の四門出遊の場面を表現していたということを直ちに示すものかということは問題である。もしそうだったとすれば,経典という根本のテキストにはよらずに,そこから派生したいわば説話テキストから絵画化された事例として注目しなければならない。さて,三重県大福田寺所蔵の鎌倉時代初期に制作された釈迦八相図一幅(重要文化財)に注目してみたい。本図については,渡辺里志氏の「大福田寺蔵釈迦八相図について」(『仏教芸術』178号)という論孜がある。渡辺氏によると,仏伝のうち,「託胎相」すなわち下天託胎,「誕生相」すなわち誕生,「四門出遊相」すなわち三時殿遊楽,四門出遊,「出家相」すなわち試芸,出家,剃髪,「降魔相」すなわち降魔成-455-
元のページ ../index.html#465