道,「成仏相」すなわち初転法輪,「説法相」すなわち頻王帰仏・説法,「涅槃相」すなわち涅槃,金棺出現,分舎利の各場面を表している。かつて小峯和明氏は「仏伝と絵解きIIー中世仏伝の様相ー」(『絵解研究』9号)で本図をとり上げ,本図の構図がとくにわが国鎌倉時代以降の中世仏伝文学に特徴的に見られる,四門出遊のあとに試芸を経て妻をめとり出家するという順序(これは経典による順序とは相違がある)によく合致するように思われると指摘された。小峯氏は,大福田寺本が中世仏伝(文学)にのっとった画面を構成しているのは明らかであるとされる。いずれにしても絵の構図と視線との関係は本図の場合も単純ではないので,速断はさけられねばならないが,以下のことだけは蓋然性がある。問題なのは大福田寺本の四門出遊の表現である。大福田寺本では三時殿を画面の向かって左寄りに配して,その正面に老人を見る太子,その向かって左に病人を見る太子,その上部に死者の葬送を見る太子と比丘に会う太子を表現している。四門出遊はたとえば,『過去現在因果経』では,東門で老人,南門で病人,西門で死者,北門で此丘に出会うことになっている。大福田寺本ではこのうち死者と比丘とが同じ方角に描かれるので,すでに表現に矛盾を来している。一般に仏画では東南西北の方角が尊重されることと,この場合三時殿が中国式に南面すると考えれば,大福田寺本で老人が表されるのは,東面ではなくて南面と考えぎるをえない。すなわち,大福田寺本の老病死の表現は,『過去現在因果経』などの仏伝教典の説による配置とは時計回りに90度ずれている。したがって北面では,死者と此丘との二つが並んで描かれることとなる。すなわち結果的には中国の宋代の変文である『太子成道経』に一致する。ちなみに大福田寺本に遅れるとみられる剣神社本,龍巌寺本の八相涅槃図では教典の説く配置に近い表現がなされている。なぜこのように,大福田寺本のみ老病死の表現がずらされたか考えなければならないが,私は,ちょうど三時殿の向かって右側である東面にすでに釈迦誕生のシーンが描かれることになっていたからだと考える。釈迦の誕生とは,すなわちその母摩耶夫人にとっては生苦にほかならない。換言すれば,東面には釈迦誕生のシーンを配することによって,生老病死の生(苦)を表現しようと意図したのではないだろうか。平安後期の法華経関係の絵画などを見るとき,生老病死の生の表現は産みの苦しみであることが知られる。大福田寺本の筆者は,摩耶夫人を生(苦)の象徴として見立てたのではないかと推測したい。-456-
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