天冠や胸飾等の金銅製装飾品,白奄・天衣遊離部・両足先・表面の漆箔・台座をともに後補とし,左脇士像の両肘先以下を後補している。なお,台座桓内部に江戸時代の修理銘がある(注4)。これら三諄像については,後世の手も加えられるものの,総じて保存状況は良好であり,十分な検討が望まれる作例である。次に各像における表現の検討と,制作年代の推定を行いたい。中尊は,来迎印を結ぶいわゆる三尺一髪際で二尺五寸ーの弥陀立像で,その形式や作風からして,快慶の創意になる安阿弥様の作例である。そしてそれ以上に,頭部の形式や作風玉眼の仕様,表情や耳の表現納衣・偏杉・裳による着衣形式や衣文表現全体的な肉取りや空間構成などからして,快慶法眼時代の作風に極めて近いことがうかがわれ,慶派仏師の手になる作例として大過ない。例えば,滋賀県内に現存する法眼時代の快慶作品のひとつとして報告されている彦根市園常寺の阿弥陀如来立像(木造・漆箔・玉眼,像高98.8cm)(注5)と比較すれば,特に胸・腹部の表現,そして右胸から腹前にかけての折返した納衣の先端が大きく波形にうねる形式,左前膊で折返される柄衣の表現,正・側・背面における衣文構成や,裳裾に見られる衣のたたみこみなど,基本的に,同一の構成原理となっている。このような着衣形式および衣文の構成などは,近年報告された快慶法橋時代の大阪・大円寺阿弥陀如来立像(注6)においても認められるところである。同時に,快慶の作例とは大きく異なる要素も認められる。いくつかの点を指摘するにとどめるか,善通寺像では髪際線が直線として,断ち切ったように現れるか,快慶像の場合ではややカーブをもって表される。後頭部の螺髪の配列については,善通寺像では大きく秩序を乱すことになるが,快慶像の場合,基本的にはその秩序を保って配列されている。面相部については,善通寺像に後世の手が加わっているようにも見受けられるが,特に園常寺像の明快な表現とは大きく異なるところであろう。体部についても,少し指摘しておきたい。三道から胸.腹部にかけての表現はほぼ同一の形式となるが,その肉取りなどにおける充実感は,快慶像に一歩を譲るようである。垂下する両袖については,快慶像が左右の長さを揃えるのに対して,善通寺像では左袖が長く表されている。このように微妙なレベルにおいてではあるが,快慶像に認められる形式の整った斉整美には,わずかに及び難い点が認められるのであり,-40-
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