注67.6cm)や,護法善神堂の左脇壇に安置される詞梨帝母椅像(木造・彩色・玉眼・像高43.5cm)なども,慶派の影響下に制作された像としてよい(注11)。また,『近江輿大津市域における慶派の作例については,建久5年(1194)に供養された石山寺多宝塔の本諄木造大日如来坐像が快慶の手になるものであり(注9)'また同寺内の法輪院に安置される木造如意輪観音半珈像も慶派系の像とされている(注10)。また,大津市域の中では,園城寺についても,慶派の介在を考えねばならない。具体的な作例についていえば,園城寺唐院安置の黄不動尊立像(木造・彩色・玉眼・像高159.8cm)は,その本格的な筋肉表現をはじめとする作風からして,13世紀前半も早い頃に慶派の手になった像と推測されよう。また,宝蔵伝来の吉祥天立像(木造・彩色・玉眼・像高地志略』に,三井寺の境内と記される大津市藤尾の寂光寺に,慶派の手になると考えられる菩薩形坐像(木造・漆箔・玉眼・像高63.3cm)が伝えられるのも,故なしとしないのである。建保2年(1214)4月における,山門による園城寺攻撃の発端は,大津東浦における山門・寺門の勢力争いによるとされるが,現在の大津の中心域,すなわち善通寺のあたりにまで園城寺の直接的な勢力が及んでいたことが推測される。このような事情からして,善通寺およびその近在に,平安時代以降の古像が集中して遺存しているという事実は,園城寺の存在を抜きにして解釈しづらいところであろう。善通寺の本尊像に,正統的な慶派の介在がうかがわれるのも,地理的な観点や歴史的な状況からして,園城寺の存在を念頭に置くのが妥当であろう。善通寺の木造阿弥陀三尊像は,像自体の優れた造形はもとよりのこと,この地域における13世紀初頭の造像事情をうかがわせる作例としても,まことに興味深いものがある。(1) 調査は,平成1年3月以来,大津市教育委員会が主催する文化財調査の一環として数度にわたって行われた。調査に際しては,善通寺26世西村同紹師より多大なご高配を賜り,また西村師をはじめ現大津市歴史博物館岩田茂樹氏,現跡見学園女子大学助教授副島弘道氏,東京国立文化財研究所長岡龍作氏などより,貴重なご教示を得た。なお筆者は,この阿弥陀三専像について,平成1年10月の美術史学会西支部会においてその概要を報告したが,その際に京都大学清水善三氏などより貴重なご意見を頂いた。-43-
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