注62年の地震後の再装飾?)やユピテル神殿(ティペリウス時代以降の再装飾)の外壁di Sallustioからのみ幅木タイプの例がでていること,また同住宅にはポディウム・タPapparaldoが指摘しているモニュメンタリティーの精神と関係があることは確かであ(1) cf. B. W esenberg, "Certae rationes picturarum", in Marburger Winckel-mann-Programm, 1975/76, pp. 23-43. ; A. Andreou, Geschichte Wanddekor-ationen, 1988, p.190. (2) cf. V. J. Bruno, "Antecedents of the Pompeian First Style", American ]our-nal of Archaeology, 73 (1969), pp.305-317. ; Laidlaw 1985, pp.34-37.; Andreou 1988, pp.214-216. (3) V.J.Bruno & R.T.Scott, Cosa IV, The Houses, Memoirs of American Academy in Rome, pp.131-137. されており,その上には帯状層・主腰部が配されている(Casadei Grifi, III)。ポンペイ第一様式の腰羽目とポディウムとの同義は実際の建造物からも確認される。高い角形ホ゜ディウムを有する円形墓(Viadel Sepolcri, n.18,後1世紀後半)は第一様式で装飾されているが,ポディウムの上の装飾はステュロパテスに直接オルトスタテスが配されその上に切石積みの3層が配される。つまり腰羽目はなく帯状層•主腰部・上部によって構成されている。また同じくポディウムを有するアポロ神殿(後面装飾もこの墓の装飾と同じパターンで装飾されている。このタイプにも蹴板の有無があるが,装飾要素として捉える場合にはポディウムの下部とみなすことが可能である。組積造り様式の丈高幅木としての腰羽目を有するタイプと,ポディウムとしての腰羽目を有するタイプとがはじめから同時に存在していたのか,それとも丈の低い幅木がだんだん拡張してポディウムヘと発展したのかはポンペイ第一様式装飾の詳細な年代比定が困難であるためこれ以上の考察は控えることにする。ただ,ポンペイではCasaイプの装飾もあること(oecus22)はひとつの指針となるであろう。またイタリアにおいて丈高の腰羽目が好まれたことに関しては,すでにUmbertoると思われる(注7)。しかしその由来や具体性を求めるにはカンパニアにおける墳墓を主とした絵画やエトルリア人の存在などに関する研究課題が残る。-53 -
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