鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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⑦ ブランカッチ礼拝堂壁画の制作過程についての研究研究者:東北大学文学部助手高梨光正はじめにブランカッチ礼拝堂の修復が終わり,多くの修復調査報告と,新たな研究が次々に行われている。修復調査により,壁画の物理的なデータが詳細に調査されたのと同時に,マザッチォ,マゾリーノ両者のフレスコ画描法が観察しやすくなった。本調査研究では彼らが「どの様に絵を描いたか」ということを観察してから諸々の考察を始めた。その上でマゾリーノとマザッチォの描法の違いによるブランカッチ礼拝堂内の壁画の作者帰属の問題,礼拝堂壁画制作の手順に関しての仮説を提示しようとするものである。1.マザッチォ,マゾリーノの賦彩の方法と筆線の特徴『楽園追放』と『原罪』をそれぞれマザッチォとマゾリーノの自筆の作品であるという前提に立って,両者の人物頭部の描法を抽出することにする。まず『楽園追放』のアダムの頭部を見ると,黄色の下塗りの上から焦茶色の絵具で毛髪は描き起こされ,かつ下塗りの黄色を透かすことで頭髪の照りとされている。顔の部分に肌色を塗り,その上から茶色のハッチングにより陰影付けを施し,同時に爪などが描き起こされている。このとき完全に顔面が茶色で塗りつぶされてしまった。最後に,白でハイライトを施すが,このとき,さきに描き起こした爪が塗りつぶされることも気にせずハイライトを施している。それはエヴァの描き方を見ても同様で,下塗りが施された痕跡は明確ではないが,陰影とハイライトはすべて肌色顔料の上から施されているのが分かる。両眼は完全に茶色で塗りつぶされている。唇も,右端の唇の端あたりの色具合から推すに,上下の唇に紅を差してから,口の中の暗部と共に茶色で塗りつぶされたと思われる。左の頬の照りは,この口の暗部の影を塗ってから施されている。このとき,同時に左端をなぞっていた茶色の輪郭線をも塗りつぶしていることから,輪郭線はその前に描かれていて,色彩が施されてゆくに従い潰されていったことが分かる。逆にいうと,輪郭線がつぶれるのも気にせず色を塗り,最後に改めて輪郭線を描き直すということはしなかったわけである。細部を描き起こし,色を施してもなお,それらは焦茶色の陰影と白色の照りに潰されることを気にしない。-55-

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