鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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文学史の研究者の間では,元々「シンドバードの冒険物語」に二種の,内容を異にする系譜があることは知られている。先に述べたガランは,当初独立した写本であった「海のシンドバードと陸のシンドバード」という物語を翻訳しようとしたところ,ある人にこの話は「千夜一夜物語」という説話集に含まれていると言うことを聞いて(それまで彼は「千夜一夜」の存在を知らなかった)あわてて「千夜一夜物語」の写本を入手,改めて「千夜一夜物語」として世に出したという逸話も残っている。従って,通常かなり後の第137話目に登場する「シンドバードの冒険物語」が,ガランの翻訳では「バクダードの軽子と3人の娘」の直後に第5話として登場している。このガランが下にした独立の写本系「シンドバードの冒険物語」は,ラングレーの仏訳(1811)を除き,その後翻訳されず,ガランが使用した原本もフランス革命を経て紛失してしまった。ZER系の写本はすべてこれとは別系統の写本を使用したことが判っている。ところが,ガランの使用したA系列の写本と通常のB系列の写本は,第六航海と結末の第7航海を除き,若干の表現の差はあれ,ほとんど内容に違いが認められない(資料4ab参照)。「ガラン版」でも老人に脚はあるのだ。また,R.バートンが指摘する「シ.ンドバードの第五航海における海の老人」の説話の原型となった(?)「カマルーパ」というインド起源の物語も該当個所を調査した結果,その物語の中では,漂流中に未知なる島に流れ着いた主人公がその島の住人に就寝中,同様に脚で首を絞められるという憂き目にあっていた。舞台の設定に違いは見られるものの,両者は脚で首を絞められるという点で同じである。しかし,これまで述べてきたように「シンドバードの冒険物語」には数種の異本があり,「千夜一夜物語」のみならず,この話が独立した1個の物語としてイスラム圏に広まっていたことは事実である。この「シンドバードの冒険物語」の次に登場し,133番写本に挿絵が描かれている「黄銅城の物語」も,その物語の系譜を紐解くと背後にソロモン伝説と結びついた広大な文学史を有し,「アラビアン・ナイト」の中の単なる一説話を越えて,1つの独立した古伝説として伝えられていたということが何人もの研究者によって指摘されている(ガラン版にこの話は登場しない)。したがって,ボードリアン図書館オリエント133番写本に描かれた「千夜一夜物語」の挿話を主題とする挿絵は,逆に「千夜一夜物語」とは別系統で伝わった説話・伝説を絵画化したものが,たまたま主題となった話が「千夜一夜物語」の中に収められているという理由だけで「千夜一夜物語」の挿絵として見なされているのではないかと-69 -

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