鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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133番挿絵については全く言及していないが,カズウィーニーの「創造物の驚異」とい推測される。ところで,先に引用したアラブの歴史家アルマスウーディ以外にも,「千夜一夜物語」について触れた当時の文献は存在する。それは,10世紀後半にバクダードで書店を経営していたムハンマド・アン・ナディームが,当時の文献について豊かな知識を背景として編纂した「目録の書(キターブ・アル・フィフリスト)」の中の一説である(資民衆に愛された物語は,凡庸な書物として軽く見られる傾向にあり,こうした民話の類が王侯貴族のアトリエで絵画化されることは終ぞなかったのではないだろうか。しかし,「千夜一夜物語」の挿話の中でも「シンドバードの冒険物語」や「黄銅城の物語」,ワクワーク島に関する伝説など独立した物語として今一度ペルシアに伝わったものは,ペルシア系の王侯のアトリエにおいてミニアチュール画家の手により,同じく奇想天外でファンタジーの要素に溢れたアレクサンダー伝説(イスカンダール・ナーメ)やハムセの写本挿絵のように豊かな想像力とともに絵画化されたと思われる。その1つが,133番挿絵であり,スキラ版アラブ絵画の著者エッティングハウゼンがいう「アラビアン・ナイト挿絵擬き」なのであろう。エッティングハウゼンは,ボードリアンのうコスモグラフィーに関する書物を例に取り,「……このテキストは多くの奇妙な生物に対するファンタスティックな解説を含んでおり,これらの話は,そこに科学的な根拠は見られないが,そこに付されたミニアチュールの幾つかは,少なくとも『シンドバードの冒険』の写本挿絵の歓迎すべき代替品として意味を持っている。『アラビアン・ナイト』それ自体のテキストは,無論すばらしいものであるが,文学の高度な形態とは認められていなかった。どちらかと言えば,娯楽として人気があったので,どう考えても画家たちにとって価値ある主題とは考えられなかったのだ。一方,科学の分野や文学の領域では様々な(価値ありと)認められた作品が存在したので,それらの作品は『アラビアン・ナイト』に登場した数々のモティーフを用い,或いはエピソードをしばしば絵画化したのだ。ミュンヘンにある『創造物の驚異』は,おそらくこうした『アラビアン・ナイト』の挿絵擬きの最も早い時期のものであるといえよう」と述べている。エッティングハウゼンが例として挙げた唯一枚のアラブ・ミニアチュール「巨鳥ルーフ(ロック鳥)にぶら下がり飛行する若き船乗り」[図6]の画面は強いて分類する料6参照)。当時のイスラム世界の学者たちにとって,「千夜一夜物語」のような広く-70 -

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