鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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1979)。そして紀元前5,4世紀となるとその強調の度合いは縮小される。プロテシス-Johansen 1951)。2)この墓碑の図像はヘレニズムの時代精神の一側面を露呈するもされてきた(Boardman1955, Ahlberg 1971, Kurtz and Boardman 1971, Vermeule のための準備は通常,死後直後に取り行われる(Alexiou197 4)。本稿では,「ヘディステの墓碑」は,準プロテシスの場面を描出するが,プロテシス自体を表現しているのではないと解釈する。「ヘディステの墓碑」の場合,ヘディステの遺骸は未だプロテシスのための装いを施されていない。すなわち,ヘディステは,未だ死装束で被われてもいなければ,ディアデム(この場合は遺骸の頭上に付ける「冠帯」の意)を飾られてもいない。ヘディステはむしろ,息を引き取った直後の状態で未だプロテシスの準備は開始されていない。この場面の選択は,伝統的なアッティカ浮彫墓碑や白地レキトスにおけるように死者でありながら生きた姿で遺族と共に表されたそれとは,根本的に異なる。ギリシア葬礼芸術における「ヘディステの墓碑」の位置については,大別して以下の2点の解釈が提出されてきた。1)このタイプの墓碑の図像は,ギリシア葬礼芸術において女性像のモチーフとして貯えられてきたもののひとつから選択された(Friisので,そこにはギリシアの伝統的葬礼芸術とは本質的に異なる,感情的劇的瞬間への偏好が示される(Pollitt1972 ; 1986)。本稿では,「ヘディステの墓碑」の図像が単に伝統的モチーフの一部でもなく,または一般的な意味での劇的表現を志向していると解釈するのでもなく,スペクタクルとして意図的に舞台芸術にも通じる演出を採用していると考える。基本的に伝統的なプロテシスの構成,すなわち遺骸を「展示する」精成を取りながら,舞台空間に悲劇的な死を現出することでヘディステの死の演出効果を高めている。ではこのヘディステの死の演出は当時の社会にどのような意味をもっていたのか。III.「ヘディステの墓碑」とギリシア神話「ヘディステの墓碑」に表現された産褥の床での死の図像は,当時の社会の価値観のー側面を伝える(Abram1992)。ここで問題になるのは,この価値観の背後に横たわる社会通念であろう。本稿では特に神話に根差した通念について考察したい。ギリシア神話としてアルケスティスとアリアドネの神話が取り上げられる。さて,古代ギリシア杜会において,女性の産褥の床における死は,男性の戦場における死と比肩する,-79 -

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