ージを越えた,古代ギリシア社会の理想の女性像,その理想の正当化,そして現実の人間の神話的真実への合流を示すものであろう。最後の第w部が,はじめの三部で論じた問題を最終的に包括する。結論として,本稿では「ヘディステの墓碑」を単なる感情的私的イメージの所産としてみるのではなく,公的空間に演出される人物像の伝統を強くひくイメージと捉える。古代ギリシアの葬礼芸術においてはさまざまの人物タイプが視覚化されてきたが,「ヘディステの墓碑」において新たな人体表現が試みられた。ここで画家はヘディステの死体を描写することでギリシア葬礼芸術におけるプロテシスの描写の伝統の一端を担う。さらにその図像は若妻の名誉ある死を描写する。女性の悲劇的な死の視覚的文学的イメージは,「ヘディステの墓碑」の描かれた中期ヘレニズム時代には,テッサリア地方の伝統を土台としたエウリピデス作の「アルケスティス」,またはアテネのディオニュソスの神域に描かれた「置き去りにされたアリアドネ」の壁画,また南イタリア出土の赤像式陶器の同様の図像などで,画家の図像レパートリーに入っていた。これらの先例が,「ヘディステの墓碑」に直接の影響を与えたと結論づける必要はなく,むしろ,ギリシア文化における,名誉ある悲劇の女主人公のイメージを含むストックイメージともいうべきものを形成していたとみなすべきだろう。「ヘディステの墓碑」に描写された演劇的空間はまた,舞台とスペクタクルヘの志向を裏付ける。「ヘディステの墓碑」にみられる女性の死体の演出は,西洋文学,造形美術においてけっして稀な例ではなく,むしろ西洋文化を通底する,非常に持続性の強い価値観の具現で,この視覚イメージを通して,墓主ヘディステはギリシア神話上の人物像と重ね合わせられ,同時代の社会の矛盾に満ちた女性の理想像を具現する。尚,本稿においては「ヘディステの墓碑」とギリシア神話について,主に論じたが,第N部の当時の社会における価値観を包含する人体表現については,今後更に詳細に検討したい。* -83-
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