鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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⑩ 堂内荘厳研究2~を用いた荘厳研究者:サントリー美術館学芸貝内藤1.はじめに本稿は,「堂内荘厳研究2一鏡を用いた荘厳」の一環として,鏡像風の仏像を内陣柱に飾った例として中尊寺金色堂を取り上げ,当堂内陣柱(一般に巻柱という)に鏡像風尊像が表わされるにいたった背景を考察し,さらにそれらの尊像が構成する図像について検討するものである。金色堂は天治元年(1124)藤原清衡によって建立された一間四面の阿弥陀堂である。堂内〔図1〕は中央の一間を内陣とし須弥壇(中央壇)を設け,さらに堂の完成後に外陣西南隅と西北隅に二壇を増設している。今回取り上げる四本の巻柱〔図2〕は中央壇を囲んで内陣の四隅に立てられている。巻柱は黒漆地に螺細と蒔絵で装飾され,その装飾は上下四段の構成となっている。下一段は沃懸地螺釧で大形の宝相華団花文を前後に表わし,上三段は各々四方に菩薩像を飾る。菩薩像〔図3〕は鍍金された紐状金具が巡る円相(月輪)内に蓮華座上に結珈践坐した姿で表わされており,菩薩本体,光背,蓮華座は蒔絵で描き,光背の外側の月輪部分に白銅板を鋲で貼っている。菩薩像は一本の巻柱で十二体,四本で四十八体を数える。各菩薩像の尊名,および四十八尊の構成する主題については,これまでに次の二通りの解釈が提唱されている。①菩薩像を持物や印相から密教の尊像と認め,四十八尊を胎蔵界曼荼羅の諸菩薩とする説(注1)。②菩薩像の四十八体という尊数に注目し,『無量舟経』に説かれる阿弥陀如来の四十八大願を菩薩のさまざまな姿で表現したと考える説(注2)。上の二説は,菩薩像の性格を①説は密教尊像とするのに対し,②説は浄土教像と考える点で根本的に異なる立場にある。このような見解の相違が生じた原因のひとつには,四十八体の中に胎蔵界曼荼羅をはじめ諸図像には見ることのできない特異な印相の像がかなり含まれており,しかも諸尊の配置や取捨選択に一定の規律が認め難いことを挙げることができよう。今日,管見の範囲では②説を支持する研究者が多いように見えるが,巻柱の菩薩像を浄土教像と考えるには多少疑問がある。すなわち,菩薩像の栄-86-

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