2.巻柱菩薩像と鏡像・懸仏持物や印相は密教色が強く,しかも円相(月輪)の中に坐す姿は曼荼羅に描かれる密教像に多く見ることのできるものである。逆に,このような尊容の菩薩像は阿弥陀浄土図や来迎図など同時代の浄土教美術には見ることができない。しかし,①説も巻柱菩薩像の中に含まれる特異な印相の像の成立をどのように解釈すべきかという問題を残しており,巻柱菩薩像の主題の解釈を困難なものにしている。本稿は主題の問題を中心に巻柱について考察するものであるが,今回は各菩薩像の腺名の比定作業に先立ち,四十八躯に共通する図像上の特徴について検討したい。特に菩薩が月輪中に描かれたこと,そして月輪の部分に鏡の素材とされることの多い白銅板が貼られた経緯に焦点を当てることにする。この考察によって,菩薩像の基本的明らかにすることができると考えている。巻柱の菩薩像は,各々月輪の中に訣坐した姿で表わされており,月輪の部分には白銅板が貼られている。この特徴は菩薩像のどのような性格を意味するのであろうか。白銅は青銅と錫との合金で,鉛白色の光沢のゆえに古くより鏡や硬貨などに適した工芸素材とされてきた。今日,巻柱に貼られた白銅板は長い歳月を経て黒ずんでいるが,昭和の金色堂解体修理の際に新たに復原された西南・西北の二柱を見ると白銅板は燦然と白い光を放っており,月輪に鏡の如き光輝を与えようとした当初の意図を知ることができる。したがって,巻柱菩薩像は円鏡に見立てられた月輪の中に尊像が現出するように配慮されたことが推察できるが,我国には十世紀末から室町時代にかけて円鏡に曼荼羅,仏菩薩,種子などを描いた鏡像と呼ばれる作品群が存在することに注意を払う必要があろう。また,鏡に擬した銅板などの金属板(鏡板という)に浮彫状あるいは丸彫の腺像を貼り,さらに吊り金具を備えた作品もあり,一般にこれを懸仏と称する。金色堂が建立された十二世紀は鏡像,懸仏がともに盛行した時代であり,巻柱菩薩像が鏡像懸仏と密接な関連にあることは容易に想定できよう。では,鏡像と懸仏はどのような性格を有する尊像であり,なぜ巻柱菩薩像は鏡像風の像として表現されたのであろうか。鏡像が誕生した経緯にさかのぼり,この問題を検討することにしたい(注3)。初期(+〜十一世紀)の鏡像作品は,曼荼羅や曼荼羅風の群像形式を描いたものがな性格~問題などを-88-
元のページ ../index.html#96