3.平安・鎌倉期の柱絵に見る月輪仏・鏡仏像金色堂が建立された平安後期は,末法の世を生きた貴族が地上に極楽浄土を顕現するべく競って浄土教寺院を建立した時代であり,堂内荘厳は貴族の洗練された感性と熱心な信仰心によって,繊細さ,華麗さにおいてひとつの頂点を迎えた。そして,注意すべきことは,次に挙げるように,平安後期から鎌倉時代にいたる建築の堂内荘厳に,月輪仏および「鏡仏像」と称する腺像を飾った内陣柱が見えることである。すなわち,このような尊像を飾った柱絵の主題に何らかの傾向を認めることができれば,金色堂巻柱の主題を考察する際の有力な手懸りを得ることとなろう。(1) 法勝寺八角九重塔(永保2年=1083)「法勝寺御塔供養呪願文」(『朝野群載』所収)には,八角九重塔について,(前略)金堂南面瑶池中心更課馬釣新造雁塔層級寵室取法栖震八角九重齊度崇福窮神虚妙螢玉範金風鐸和鳴露盤照耀超々擦俗歩々乗空仰同翔鵡俯顧飛鳥金剛界會吾智如来紫磨添光百錬比影中尊八尺分座四方自餘諸尊各安四角表別之裏蔵金字経八方之樅圏月輪佛(後略)と記されている。安置仏は金剛界五智如米像で,八方の柱には月輪仏が描かれていた。月輪仏の尊数や主題については記述されていないが,両界か金剛界曼荼羅の諸像を図絵していたものと考えるのが妥当であろう。(2) 勝光明院(鳥羽御堂)(保延2年=1136)勝光明院は鳥羽離宮の北殿の敷地に,鳥羽上皇によって平等院鳳凰堂を模して建立図4木造愛染明王像厨子天蓋--90 -
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