鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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年年代;徳治2年(1307)賛*元和8年(1622)修理分類;A-I (I') -14century (彫刻)木造南浦紹明像1艦円福寺(大分県豊後高田市)総高109.5センチ南北朝〜室町時代北部九州で中世に遡るおそらく唯一の彫刻の南浦紹明像である。像には銘が記されておらず,当像に関する記録も江戸時代より遡らない。円福寺は大応国師の高弟絶涯宗卓が開き,大応を開山とした寺である。北部九州の大応派寺院の多くは崇福寺傘下の寺であるが,本寺は九州東部の大応派の拠点であったと考える。本像は等身大より小振りで愛知妙興寺の重要文化財の大応国師像の力強い表現とは異なり,体艦は小じんまりとしてやや平板で時代の降下を感じさせる。X線撮影により頭部に五輪塔型の舎利容器,巻子数巻が納入されていることがわかっている。円鑑禅師(蔵山順空)像や心地覚心像に納入品が納められていることが知られるが,大応派の頂相彫刻では他に例を見ない。円福寺では釈迦三尊像を本尊に祀るが,その普賢文殊両脇侍の台座に明応6年(1497)の修理銘が記される。寛文13年(1673)に書かれた「円福寺由緒並末寺書上」には釈迦三尊と開山像をあるとき安置したとあり,両者ともに円福寺に安置されていたことが知れる。なお,東京都立川市の普済寺には崇福寺11世に数えられる物外可什の彫刻が安置される。像の体内に朱漆で銘文が書かれ,造立助縁者の名と塗師行盛,仏師上総法橋朝宗の名そして応安3年(1370)の造立年が記される。キーワード;円福寺*南浦紹明代;南北朝時代から室町時代分類;B-I -14century (書跡)南浦紹明墨蹟「竺翁」道号説1幅紙本墨書竪31.2センチ曇禅人の道号「竺翁」の由来を記した墨蹟。款記「岩永仁二祀中冬上齢/崇福南浦紹明書」とあり,南浦が崇福寺にいた永仁2年(1294)に書かれたことがわかる。大応の墨蹟は多くは知られず,とくに崇福寺時代は東京梅沢記念館蔵の正安3年(1301)横44.0センチ崇福寺(福岡市博多区千代)-91-

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