年年年語録」に(崇福寺の)仏殿に釈迦像を安置するという文があり,大応の崇福寺在住時期に釈迦像が安置されたことを知る。キーワード;永興寺*心初祖肇*大内弘世*崇福寺*江月宗玩代;正平17年(1362)造立*寛永17年(1640)修理分類;A-II'-14century 木造無隠元晦像1謳安国寺(長崎県壱岐郡芦辺町)像高127.0センチ本像は近世の造立と思われるが,もとになった像が興国寺(福岡県田川郡赤池町)にあり,幻住派の一人である無隠元晦の事跡を伝える。安国寺は無隠が開いた海印寺がもとになった寺院で,近世以降壱岐の大応派の中心であった。キーワード;安国寺(海印寺)*無隠元晦代;江戸時代分類;C-II-17■18century*IIIに分類される資料木造馬頭観音坐像1謳海蔵寺(遠賀郡岡垣町)像高62.4センチ首・胸腹部内墨書銘「嘉吉元/とりの口/七月十二日/三条いのくま仏所十一代/祐尊」海蔵寺は崇福寺3世に数えられる峰翁祖ーを開山とするが,永享12年(1440)竺裔玄中が中興したと伝える。同像は数少ない馬頭観音の坐像で三面六臀の姿を表す。量感や衣文などの彫刻はやや鋭さに欠くとはいえ,体内銘文にも見られるように嘉吉元ある。本像は当初より海蔵寺に安置されていたと考えられ,九州の大応派の寺院に都ぶりの像が安置されていたことは,航海の要所であるその地の歴史と共に位置付けるべき資料と考えられる。キーワード;海蔵寺*竺裔玄中*三条いのくま仏所*祐諄代;嘉吉元年(1441)年(1441)三条いのくま仏所の祐尊という仏師の作であることがわかる貴重な作例で-96-
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