鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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⑨ フランティシェク・クプカの造形にみられるチェコ美術の役割1896年よりパリに定住していたクプカは,1912年のサロン・ドートンヌに《アモルI ドブルシュカ研究者:愛知県美術館学芸員古田浩俊はじめにオーストリア=ハンガリー帝国のボヘミア領(現在のチェコ共和国)に生まれたフランティシェク・クプカ(1871-1957)は,カンディンスキーやモンドリアンと並ぶ抽象絵画の創始者のひとりである。1989年に芸術論『造形芸術における創造』(1923年)がチェコ語から仏訳され,この同じ年から翌年にかけてパリ市立美術館でこれまで最大の回顧展が開催されたことは,生前には正当な評価がされなかったクプカに対する評価が定着しつつあることを示す証左と言える。ファ,2色のフーガ》(プラハ国立美術館蔵)を,翌13年のアンデパンダン展には《垂直の面III》(プラハ国立美術館蔵)を出品した。前者はパリで最初に公衆の眼前に展示された抽象絵画であり,黒い背景の上に白いふたつの円が重なり合い,その上に赤と青の帯状の曲線が絡み合う構成を成している。後者は青味がかった灰色の背景の上に白や紫や濃紺の縦長の矩形が単独で浮遊するか,あるいは重なり合う構成をとっている。この両作品はクプカの代表作としてばかりではなく,最初期の抽象絵画としても重要な作品であるが,ほぼ同時期に描かれた作品であるにもかかわらず,絵画構造がまったく異なっている。つまり,《アモルファ》は「円」を《垂直の面》は「垂直」をそれぞれ基本構造としてもっている。実は,このふたつの基本構造こそ,時を経て様式か変化してもクプカの絵画に一貫して見られるものであり,クプカの絵画を特徴づけているのである。クプカの絵画がもつこの2種類の構造の淵源を探求することがこの研究の目的であるので,まずはクプカの故郷に目を向けねばならない。フランティシェク・クプカが生まれたのは,ボヘミア北東部,ポーランドとの国境となっているオルリッケー山脈の麓の小さな町オポチノである。しかし,父親が隣町のドブルシュカに新たな職を得たために,一家は1歳に満たないフランティシェクを引き連れて,このドブルシュカに転居する。そしてフランティシェクは,16歳でこの-107-

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