町を去るまでの約15年間をこの町に暮らしている。つまりドブルシュカは,クプカが幼年,少年,青年時代という,人間が成長する過程でもっとも多感な時代を過ごした町なのである。それ故に,人間形成されてゆく段階でクプカの目に触れ,体験されたことは,その後の彼の人生にとって何らかの影響を与えたと考えられる。残念ながらクプカは自伝を残していない。1900年9月28日付のハヌシュ・イェリーネク宛および1902年1月2日付のJ.S.マハル宛手紙のみが,このドブルシュカ時代についてわずかに言及しているにすぎない。しかし,これらの手紙では自分の視覚体験については何も触れていない。ところが幸いなことに,ドブルシュカの町には,クプ力が生まれる以前から現在に至るまで同じ場所に位置する,いくつかのモニュメントが残っている。そのなかで最も目立つ場所にあるのが「聖母マリア柱の群彫刻モニュメント」[図l]である。記録によって裏付けることはできないとは言え,クフ゜力がこのモニュメントを目にしていることは確実であり,それどころか,クフ゜力が成長していったその生活空間の中に,このモニュメントは常に存在していたのである。それ故に,このモニュメントをひとつの検証例として取り上げ,その中に「円」と「垂直」の淵源を探るのが,最も妥当だと思われる。図1聖母マリア柱の群彫刻モニュメント-108-
元のページ ../index.html#118