鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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きな渦巻装飾[図3Jは,このモニュメントの重要な装飾部位であるが,渦巻そのものは言うまでもなく,渦巻から上部の彫像の台座にまで伸びるこの装飾のシルエットも曲線を成している。また,基壇の4つの上辺は円弧形をなし,4つの面にはそれぞれカルトゥシュ[図4]が刻まれている。これらカルトゥシュは,楕円形の滑らかな凸面の周囲に渦巻の装飾が施され,すべてが円の要素から構成されている。垂直の要素としては,全体として見た場合,このモニュメントそのものが垂直の構成をなしている。少し離れた所からこのモニュメントを見た場合,バラストレードから2段の基壇を経て円柱へと,上方に向かって収敏してゆく構造をもっており,ここに垂直のもつ上昇性が生まれている。細部に注目すると,垂直に立つ円柱やその上のマリア像は言うまでもなく,第一の基壇と同じレヴェルで渦巻装飾の上に立つ4体の彫像も垂直の要素である。さらに細かなものでは,バラストレードを構成するバラスタの列や,その欄干上の飾りも垂直の要素としてあげられる。かくしてこのモニュメントの中には,円と垂直の両方の要素が渾然一体となって存在していることが確認できた。そこで,クプカの絵画の中にこの2つの要素の初出を探ってみることにする。III 工場「ラ・フェルム」クフ゜力がボヘミアを去ってウィーンに出る1892年以前に描いた作品のうち,現存している数点の作品は,すべてドブルシュカ美術館が所蔵している。この中でドブルシュカの景色が描かれているのは,プラハ美術アカデミーの学生時代の1889年に描いた《ドブルシュカ風景》と1891年の《工場「ラ・フェルム」》[図5]のみである。前者は小高い丘からみたドブルシュカ全景を描いた純粋な風景画である。後者は,当時ドブルシュカ町長でクプカの最初のパトロンとなったアルフレプが,町の銀行のために差ヨセフと工場を描くように注文したと,マハル宛の手紙で回想しているまさにその作品と推測され,工場の背後には町庁舎の鐘塔や聖ヴァーツラフ教会(この教会と通りを隔てた家にクプカは住んでいた)か描かれている。この《工場「ラ・フェルム」》では,注文主からの注文は「聖ヨセフ」と「工場」だけで,あとは何をどう描こうがクプカの自由であった。つまり純粋な風景画と違い,精成やモティーフの点でクプカには多くの自由が与えられていたわけである。それゆえに,当時のクフ゜力がもっていた知識や経験が比較的自由な形で画面に現れているも-111-

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