る。結びクプカが画家として活動したのはパリであり,死ぬまでここに住み続けたことは確かである。しかし忘れてならないのは,クプカが生まれ育ったのはボヘミアであり,そこでの視覚体験が,その後描かれる絵画に非常に大きな影響を与えているということである。これまでクプカとチェコのゴシックやバロックの美術との関係については,具体例が提示されることなく,ただ漢然と触れられるにすぎなかった。ドブルシュカの「聖母マリア柱の群彫刻モニュメント」は,クプカがそれを間違いなく目にしながら成長したモニュメントであり,その中に後のクプカの絵画の基本構造である「円」と「垂直」が内包されていることを確認することで,その淵源の一端を確認できた。クプカの絵画の独自性は,こうしたチェコ美術の遺産の中で育まれたものであり,チェコ美術の伝統なくして画家クプカは存在し得なかったのである。今回の調査を通じて,クフ°力とチェコ美術の伝統との関わりを探求するひとつの足掛かりができた。今後は,より多角的な視点から両者の関係を考察してゆくつもりである。追記ドブルシュカ美術館イジー・マフ館長のご好意により,クプカの出生記録を始めとするクプカに関する貴重な基礎資料を複写させていただいた。これら資料の詳細については,いずれ何らかの形で公表する予定である。図6聖ヴァーツラフ-113_
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