鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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⑩ 中世禅宗僧侶肖像彫刻の造像に関する研究(1) なぜ造像されたのか研究者:文化庁文化財保護部美術工芸課文化財調査官根立研介「頂相彫刻」とも俗称される,禅僧の肖像彫刻は,鎌倉時代後半頃から盛んに造像され,像主の風貌のみならず,その個性までもとらえるものとしてしばしば言及されており,わが国の肖像彫刻の中でも特異な位置を占めている。しかしながら,その造像の実態については,頂相画に比べると,きわめて不明瞭といえる。これは,銘文や納入品といった第一義的な資料に乏しいことに加え,頂相画が讃文を有し,また語録,行状類等にしばしば確認することができるのに比して,彫像はこれら史料に登場することも稀であり,これら史料から判じられたわずかばかりの事例も厳密に検討して見ると,これが彫像かあるいは画像か明らかにし難いことも多いといった事情によろう。したがって,像の製作年代の決定は像主の没年を目安になされることも多いが,時代を経てから造られる追熱像やあるいは像主の生前に造られる舟像の問題もあり,これに余りこだわると的確な判断を下すことができなくなる。さらに言えば,像主の名前でさえ変更が生じることもあり(例えば修理以前は大休正念〔1215-89〕像と呼ばれていた蔵六庵・傑翁是英〔ー1378〕像や,今回の調査で義翁紹仁〔1217-81〕像から像主名の変更を行う必要の生じた正伝永源院・惟忠通恕〔ー1429〕像など),五山を始めとする諸寺(例えば東福寺禅堂や南禅寺南禅院など)には像主の名さえ明らかにできぬ彫像遺品が数多く存している。こられ禅宗僧侶の肖像彫刻を体系的にとらえ,また時に伝神照写あるいは迫真性などの言葉が与えられる優れた写実性を正しく理解するためには,文献史料や画像などの諸資料を参考にしながら,その初期に製作された主要遺品の造像の実態を改めて検討する必要がある。禅僧の肖像は通常頂相と呼ばれるが,これは当然の事ながら,本来画像に対して用いられる用語であり,契悟を得た師匠より嗣法の證として申し請けたものである。また,像主に関わる仏事の際掛真のためにも用いられる。したがって,彫像をも頂相の名を用いる事は,厳密には誤用であり,本稿の標題にこれを用いなかったのは,こうした由である(但し,『大休正念語録』や『法燈円明国師行実年譜』に出てくる「頂相」の語を彫像と解釈する向きもある)。ちなみに彫像の場合,文献史料では,「木像」-114-

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