鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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の1年後),永光寺・峨山紹碩(銘文,1366年,没年の作,但しこの銘文にあらわされcm)や興国寺・無本像(82.5cm)のように等身像がしばしば認められる。像主の姿を③13回忌…報国寺・天岸慧広像(銘文,1347年),永源寺・寂室元光像(「十三回忌法ば,痔福寺・栄西像(2躯,各60.4,62.1cm),円覚寺・無学像(62.1cm),正統院・高峰像(70.5cm),報国寺・天岸慧広像(66.5cm),白雲庵・東明慧日像(68.2cm),正伝庵・明岩正因像(56.5cm)などで,等身像は瑞泉寺・夢窓像(78.8cm)程度であろうか。これに比して,京都五山をはじめとする他地域の古像には龍吟庵・無関像(81.0忠実に写すのであれば当然等身像の造像が企てられてよさそうであるが,痔像でも等身を一回り小さく造るものもあり,その意図は不明ながらこのような座高2尺程度のサイズが禅僧肖像彫刻の大きさの規格としてかなり早い時期から認められていたことが知られる。(2) 何時製作されるのか銘文や文献から製作時期が明らかな南北朝期以前の像のうち,寿像あるいは遺像と判明するもの(例えば像主の伝記が詳らかではない,嘉暦4年(1329)作の安楽寺・樵谷維倦像や幼牛恵仁像のようなものを除く)は,さはど数は多くない。遺像から見てみると,①没後間もなくの造像…棲雲寺・業海本浄像(銘文,1353年作,像主没後た年記は造像時期をあらわすものでない可能性が高い)②7回忌…永明院・蔵山順空(納入品,1316年),古長禅寺・夢窓疎石像(銘文,1357年),普済寺・物外可什像(銘文,1370年,但し,像主の没年を1351年とする説もあり,また本像は最近焼失した)語」,1379年)④33回忌…朝H寺・神子栄尊像(銘文,1304年),正法寺・無底良詔像(銘文,1361年)⑤その他…棲雲寺・中峰明本像(銘文,1353年,像主没後の30年後の造像),岐阜・安国寺・瑞巌光像(銘文,1392年,像主没後42年後の造像)である。⑤のようにかなり特殊な要因があるものを除けば,遺像は通常像主の没後間もない頃,あるいは回忌法要を機に造像が企てられたことがよくわかる。このほか,製作年次を明らかにできないものの,円覚寺の無学祖元(1226-86)像については,師の没後の3か月余りたった弘安9年(1286)12月16日の日付を有する「無学和尚塔頭事例」(『円覚寺文書』)は「影供」に触れているので,本像とこれが結び付けば,その造像は師の没後きわめて間もない頃の可能性が高い。なお文献史料では,造像年次が明確でないものの,像主の没後間もない頃に遺像が造られた例として知られるものは,円爾(『東-117-

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