鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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うか。本像の面貌は最晩年の姿を写したためか,雲巌寺本(自賛)ほかの画像に比べ面部の肉付きも落ち,上体はかなり前傾しあらわされ,像主の老齢の姿が強調され,表情にも厳しさが認められる。ただ,表面が全て後補の漆と彩色に覆われている所為もあろうが,本像の造形上の完成度は必ずしも高いとはいえず,面貌も無関玄悟像ほどの生彩のある描写は認められない。④宗峰妙超(1287-1337)像(図4,5)(大徳寺)大徳寺の開山の肖像。肉付がよく頂骨の秀でた独得の面貌と太造の体貌を見せる像で,座高92.4cmと肖像彫刻としては大振りの像である。国師の画像は,妙心寺に元徳2年(1330)の,大徳寺に建武元年(1334)の各自賛像が伝えられるが,本像は面貌は勿論,垂裳及び袈裟の衣文や,その下の法衣下端部の扱いまでこれら肖像画,殊に妙心寺本にきわめて近い。なお確認を要するが,彫像の目の瞳の位置は現状では全体に右側に寄っているが,像主の右斜めから描いている妙心寺本等の画像の瞳の位置とほぼ一致している。面貌は像主の風貌をよく伝えているように見えるが,あまり微妙な細部描写は成されておらず,体部の造形,特に側面はかなり単純化され,衣文なども大幅に省略されている。こうした彫像の特徴は,本像が画像と同じ型に基づいて製作されたというよりも,画像を基に彫像が造られた事を示唆しているように思われる。国師は長年の病のため入寂の時には結珈鉄坐も困難であったというが,彫像はそのようなことを感じさせるものではなく,むしろ壮年の偉容であらわされている。国師の図4-122-図5

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