鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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の姿をあらわしていると思われるが,像主の老いた様をほぼそのまま写したというのは興国寺・無本覚心像や正統院・高峰顕日像程度でなかろうか。もちろんこれらの像とて,やはり多少の理想化がなされているであろう。この種の肖像彫刻を,実際に仏師がどのように製作したかを具体的に示す資料はないが,像主に直接接する機会を得ることはあまりなく,おそらく紙型などをもとに,像主の様々な情報を入手しながら造像することが多かったように思われる。平面に描かれたものを基に立体に造り上げることは,仏師にとっては通常のことであり,力量さえ備わっているならば,これをきわめて写実的に再現することも十分可能であろう。これらのことを前提とすれば,写実性に優れているが故に寿像であるとか,あるいはこれに劣るが故に像主の没後の作であるといったことは必ずしも言えないのである。また,南北朝期のものは一般的には鎌倉期のものに比べると表現は形式化するが,無隠元晦像のように肖像彫刻として完成度の高いものも認められる。禅僧肖像彫刻を体系的にとらえるのが困難であるのは,正しくこの点に関わっているのである。-124-

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