しく,両者の中には天平勝宝4年(752)の大仏開眼供養で用いられた面が含まれる。その他,いずれからか世間に流出したもの数面を数える。伎楽および伎楽面に関してはこれまでに数多くの研究がなされており(注1)'大別すると1.伎楽の内容と伝来に関するものの二つに分けられる。伎楽の伝来に関しては『日本書記』推古20年(612)条の,百済人味摩之が呉の国で学んだ伎楽を伝えたという記事がよく知られる。また,伎楽は呉楽とも書き「くれがく・くれのうたまい」ともよまれることなどから,百済を経由して中国江南地方で盛行していた楽が伝えられたとするのが一般的である。その一方で,呉とは広くインドシナ半島までをも含む地域を指すとし,起源をインドシナ方面に求める説や,源流を遠くギリシャに求める説などもある。しかし残念なから中国,朝鮮には伎楽および伎楽面に関する遺品,史料等が残されておらず,今のところはっきりしたことは解っていない。一方,伎楽面各々の名称に関しては,天平19年(747)の『法隆寺伽藍縁起井流記資財帳』,宝亀11年(780)の『西大寺資財流記帳』等から獅(師)子1面,獅子児2面,治道1面,呉公1面,金剛1面,迦楼羅1面,箆裔1面,呉女1面,力士1面,波羅が知られ,これらの史料を元に,現存する仮面の名称はかなり確定している。しかし,面そのものに名称の記載が無いものが殆どで,酔胡王と太孤父,師子児と太孤児など文献からだけではいずれとも決定しがたいものもあり,平成7年3月に毎日新聞社より刊行された『正倉院宝物7南倉I』では171面中49面が名称に異常ありとなっている。献納宝物面と正倉院・東大寺面に関しては遺品が多く,それらがいくつかの組に分けられることが指摘され,分類が試みられている。作者や作風,技法等によって分類する方法と,実際の使用を考えて14種23面というセット性を重視して分類する方法があるため,研究者によって組合わせや制作年代等の見解が異なる。その中で各研究者ともにほぼ一致しているのが,一つは素材,作風,細部の形式などの面で仏像彫刻との比較などから判断して,献納宝物中の樟製面17面がもっとも古いと考えられる点(注2.伎楽面の名称と分類に関するもの門1面,太孤父1面,太孤児2面,酔胡王1面,酔胡従8面の14種23面であったこと-126-
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