かつその所在はまだ知られていない。だが今回の調査によって,その絵暦が実際にあった事実が確認された。落款は左下方に「宗理冨」と記され,朱文円印「完知」を有する。右には「寛政七乙卯歳正月吉辰」の文字と,大筒(大砲)の重量を寛政七年の大の月で示した文字がある〔図1・日本浮世絵博物館蔵〕。絵暦の図柄は大砲を担ぐ武士だが,これは単に暦の大の月に大砲を掛けて描かれたものではない。なぜなら当時,浅草寺に全く同じ図柄の絵馬の存在が,北尾重政画『絵本あづまの花』(1768)から知られるからである〔図2〕。同書によれば,大筒の絵馬は有名な絵馬だったようだ。とはいえ残念ながら,この絵馬は現在浅草寺に残されていないが,当時浅草を居住地とした北斎は絵馬を見ていた筈であり,図柄を絵馬から借用したに違いない。-4-図l図2
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