嘉裔奴」などの唐代の詩に詳しい。そこには髭裔奴は肌色が漆黒で,耳が匙のように大きく,耳染に孔をあけ金環を下げ,髪の毛は巻毛である,などの特徴が詠まれている。さらに,鹿裔奴は唐代の美術にもいくつかあらわされている。主な例を挙げると,墓に副葬された明器の中の雑技をする像[図9],敦焙莫高窟壁画に描かれた普賢菩薩の乗る象・文殊菩薩の乗る獅子の手綱を牽くもの[図10]などである。これらはみな小柄で色が黒くあらわされ,上半身裸で,下半身には膝までの短い半ズボン状の衣を着けている。髪毛は縮毛に描かれる。これら唐詩,美術作例にみられる身体的特徴から判断して,鹿裔奴とは,中国人から鹿裔と称された地域,つまり東南アジアに王朝を築いていたモン族,クメール族,チャム族などではなく,ネグリート等の少数民族を指していると思われる。すなわち鹿裔と呼ばれる地域の人間イコール鹿裔奴ではない。このように,本来は箆裔と鹿裔奴はイコールではないのだが,唐代においてすでに両者に混用がみられる。それは慧琳の『一切経音義』巻81の中の次の一節である。この記載は重要な意味を持つので原文を載せる。「上音昆下音論。時俗語亦曰骨論。南海i州島中夷人也。甚黒裸形。能馴伏猛獣犀象等。種類数般,即有僧祇,突蒲,骨堂,閤蔑等。皆郡賎人也。国無礼儀。抄劫為活,愛I炎食人。如羅刹悪鬼之類也。言語不正異於諸蕃。善入水覚日不死。」(下線筆者)これは先にみた大唐西域求法高僧伝の寛裔語に注釈をしたものであるが,実際の内容は鹿裔奴のことについて語っている。この記事は髭裔と嘉裔奴の混用がみられるという意味でも大変重要ではあるか,さらに注目すべきことには,鹿裔奴を羅刹悪鬼の如き者(下線部)であるとする認識である。ここでは本来は東南アジアを指していた嘉裔という言葉が箆裔奴と混用され,嘉裔イコール箆裔奴かのように誤解されている。さらにはその鹿裔奴が羅刹悪鬼,すなわち邪鬼のような者であると認識されるに至った過程が看取される。この認識が邪鬼の造形にも影響を与え,縮毛の邪鬼を生み出したことはかつて拙稿(注7)で論じたとおりである。中国人は自らと容貌の違う鹿裔奴に未知なる力を感じ,畏れ,そのイメージが邪鬼の造形へと反映されたのである。それでは,伎楽面の中で唯一鬼形を示す箆盗の造形に関しても影響はみられるであろうか。伎楽面の鹿裔はいずれも牙,獣耳を持ち鬼形を示すという点では共通するが,先にも述べたようにその造形は大きく異なる。例えば献納宝物面と正倉院木彫101号・79号面とでは同種の面とは思えないほどの相違をみせる。献納宝物面は牙,耳等を除けば,やや誇張ぎみ-132-
元のページ ../index.html#142