⑫ 江戸時代仏像彫刻の基礎的調査研究一~条仏師の作例を中心に一~研究者:堺市博物館研究員はじめに江戸時代の仏像彫刻は,日本彫刻史上衰退期に属したこともあって従来あまり顧みられなかったが,近年各地での仏像彫刻悉皆調査の進展に伴ってこの期の仏像彫刻を解明する動きが出てきた。しかし運慶以来の慶派仏師の系譜を継承し,当時の造像界をリードした七条仏師の動向についてはこれまで深く考察をみなかった。本研究は,こうした現状からの脱却を期し,江戸時代仏像彫刻研究の中核となる七条仏師の基準資料の抽出を計るべく,作品・文献両面からのデータ収集を行い,江戸時代仏像彫刻の時期区分の設定やその特色の把握に努めるものである。本稿では,まず七条仏師の系譜,事蹟を考察する上での募本資料といえる「本朝大仏師正統系図井末流」の内容について確認作業を行うことにする。1.「本朝大仏師正統系図井末流」について七条仏師の系譜・事績を語るものとして,いわゆる『大仏師系図』諸本があげられる。中でも「美術研究』11号に公刊された「本朝大仏師正統系図井末流」(以下「美術研究本」と称する)は,明治に至るまでの系譜をもとに,各仏師の代数・叙位・職名・没年・年齢・事蹟を詳述し,殊に事蹟については朝廷,幕府関係の記事を中心に記載するなど他の『大仏師系図』諸本にはみられない特色を持っている(注1)。しかし公刊に際し,校訂は十分にはなされずその検討は後に委ねられた。各項目のうち没年については既に毛利氏によって検討されたが(注2)'そのほかについては未検討の項目も多く,ここでは各仏師ごとの事蹟を中心に確認してみたい。(1)康音・後円融院後光厳院御両代御影泉涌寺雲龍院へ調進(以下頭点のあるものは美術研究本の記述)この記事は美術研究本のみ掲載する。泉涌寺雲龍院には後円融天皇像,後光厳天皇像が現存し,更に『雲龍院1日記』には大仏師康智が寛永16,7年に両像の鉢部を補作した旨が記される。従ってこの記事は本来康知の項目と考えられる。(2) 康知康知の事蹟のうちこれまで京都・蓮華王院中尊千手観音坐像の修理が知られていた張洋一-136-
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