9月20日であったが,その日は後光明院13回忌にあたり延期されたことがわかる。(3) 康乗3)。•同(寛文)四年三月建仁寺開山千光御影四百五十年忌作•同(寛文八)年五月小原梶井宮御寺内極楽院之本尊悪心僧都源心作弥陀三尊修復後が,『隔箕記』には,美術研究本掲載の事蹟をはじめ康知に関する多数の内容が掲載されている。これについては既に別稿で述べたのでそちらを参照していただきたい(注建仁寺に千光御影(栄西)像が現存し,造像銘から康乗の制作と確認できる。.賓樹院殿十三回忌依之御位牌井四天王像賓塔金銅鋳形之釈迦造進大樹家綱公依為御母儀御建立也東京・寛永寺には金銅釈迦如来像があり,刻銘から「金剛鋳形之釈迦」像に該当する。銘記中に仏師名がないものの,康乗の作とみて大過ないものと考えられる。・同(寛文六)年七月依太上法皇院宣八十六代四條院尊像奉納為彫刻泉涌寺江造進御奉行勧修寺前亜相経広卿『泉涌寺再興日次記』寛文6年10月5日条に「為四条院痰儀御衣木加持,当寺衆僧中参向大仏師康乗四条之家」と記す。また同条に「是者九月廿H後光明院御十三回忌故,就公私之多忙,御衣木加持延引,及今日云々」と記し,御衣木加持の日程は本来・同(寛文)八年東山泉涌寺御造賛後水尾法皇御本願也仏殿三尊弥陀釈迦弥勒先社運慶作修復土地堂之本尊(中略)五体新造井開山正法国師御影修復南山霊芝ノ両像新造(以下略)『泉涌寺再興日次記』寛文7年12月3日条に「呼寄大仏師康乗井治部卿久七等,仏師方分申付之」,同11日条に「為新造本尊御衣木加持,明岳・英玄・照皓・弧雲・湛恵参向康乗之家」と記されている。また土地堂之本尊(伽藍神)像については泉涌寺に現存し,台座銘に康乗調進の旨を記す。光二十三仏像新造京都・極楽院(現三千院)阿弥陀三尊像のうち観音菩薩像台座蓮弁裏には修理銘があり,康乗以下7名の仏師名が記される。このうち康春,康元,佐々木氏行次は寛文6年の東寺講堂五大尊修復(康乗主宰)事業にも参加しており,彼ら康乗周辺の仏師と想定できる。(4) 康祐-137-
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