鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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(ママ)覆薬師如来日光月光其外御仏像不残御修飾仕調進但此時東塔比谷交衆免許延暦寺における江戸時代の造像事情については従来あまり知られなかったが,近年,『叡山文庫文書絵図目録』が刊行され(注5)'文献資料の上からはかなり把握できるようになった。これについては現在も調査継続中であるが,以下延暦寺については同目録を参照した。宝永3年時の修復については宝永4年7月〔康伝〕「山門御仏像御修復代積目録」年(康伝〕「東塔諸堂仏像修復料請取申銀子之事」(639-279)により確認できる。『京都御役所向大概覚書』(注6)4-4「所司代證文之事」には常憲院様御尊牌養源院江奉調進候為諸御入用銀被下置請取申所1乃如件宝永六年丑六月と記されている。蓋金十位牌調進『徳川実紀』宝永6年12月25日条に「霊廟の事つかふまつりしをもて大仏師康伝に銀二百枚」と記されている。また霊廟仏像のうち広目天・多聞天・梵天・帝釈天像は神奈川・泉澤寺に現存する。十位牌調進井別当所阿弥陀仏調進『徳川実紀』正徳3年10月25日条に「御影尊牌つくりし仏師康伝は銀二百枚を賜ふ」とある。・同(正徳)四年五月文照院様御霊屋御尊鐙御尊牌四天王紅葉山御霊屋調進『京都御役所向大概覚書』4-7「所司代在府中井交代之節裏判之事」に以下の記述がみえる。銭拾五貫五百文大仏師法橋左京ー,銭拾五貰五百文ー,銭九貫五百文大仏師康伝(印)小堀仁右衛門絵所法橋了琢院承仕順意(112-130),同年〔康伝〕「山門中堂講堂御仏像御修復代積帳」(112-131),宝永5•同(宝永)六年丑五月九日常憲院様御尊牌養源院江調進•同(宝永六)年十月三日東叡山常憲院様御仏殿御尊盟御尊牌御宝塔之聖観音鋳形天•同三年已八月増上寺文照院様御霊屋御尊整御尊牌四天王御門二天御廟鋳形阿弥陀金-139-

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