•同(享保二)年八月有章院様御尊牌井四天王紅葉山十四日様御霊屋調進•江州坂本日吉山王廿一杜正徳五未年御修覆始ル御神證井御正陸御本地仏獅子駒犬修右三通之請取手形両伝,奏雑掌奥書山口安房守小宮山丹後守裏印但諏訪肥後守久留伊勢守在江戸二付加印不仕候於増上寺文照院様三回御忌就御法事江戸江参向之楽人御下行。これによって文照院3回忌(正徳4年)に大仏師左京が江戸へ下向したことが判明する。ただし仏師名は左京であり,康伝とは記されていない。康伝が左京を名乗ったかに思われるが,同書6-6「諸職人之事」ではこの頃の仏師として寺町二條下ル町に居た内蔵助のほか次の仏師を掲げている。ー,公禁儀裏御用承候魅屋町四条上ル町大仏師左京但江戸御用之節ハ米三拾石宛被下候このことから大仏師左京と法橋康伝は別人と考えられ,この記事は次の康音の事蹟とも考えられるが,詳細については不明である。.享保元年申十月有章院様御尊牌知恩院江調進『京都御役所向大概覚書』1-44「有章院様御尊牌御安置井指上物之事」には「一,有章院様御位牌仏師康伝二被向付,享保元申年十月四日知恩院江御安置」と記している。・同(享保)二年酉二月有章院様増上寺御霊屋御尊艘御尊牌井四天王御門二天御廟鋳形阿弥陀仏天蓋金十御位牌調進「徳川実紀』享保2年5月15日条に「仏師康伝御影霊牌製造せしをもて銀二百枚下さる。」と記す。『徳川実紀』享保2年7月8日条に「有章院殿の霊牌作りたてまつるべしと仏工康伝に命ぜられる」と記す。覆調進享保二酉年迄三ヶ年之中調進享保元年〔法橋康伝〕「山王社御正体獅子駒等仏師方御修復仕様帳」(461-3)により確認できる。.浄円院様御尊牌東叡山御本坊御牌殿江享保十一丙午年九月廿日奉調進同十月廿九日御城ニテ白銀三拾枚頂戴仕御名代松平伊賀守寺杜小出信濃守『徳川実紀』享保11年10月29日条に「こたび浄円院殿の霊牌をつくりし仏工法橋康伝二条河原町角法橋康伝-140-
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