鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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寺大仏師職も七条仏師の手を離れていく。このように美術研究本に一定の評価が得られ,その推移が明らかになった今,七条仏師の個々の造像作品の精査,観察を行いながら江戸時代彫刻の時代区分,その特色の把握に努めるとともに本稿で明らかに出来なかった事蹟,特に幕末期に関する事項について更なる考察をすすめていきたい。注記(1) この他,江戸時代の仏師系譜・事蹟について詳細な記述が見られる『大仏師系図』として以下の二本が掲げられる。①「本朝大仏師正統系図井末流」(京都・金光寺1日蔵)二七代康伝までを掲載。各仏師の代数・叙位・没年を記述。事蹟の記述はない。②「本朝大仏師正統系図井末流」(京都国立博物館蔵)部の仏師については職名,叙位も掲載。②については二四代康知以降,了全,了無と了の一字を継承し,康知,康乗の頃に分派した仏師と考えられる。二六代了無は,貞享2年刊行の『京羽二重」諸職名匠に掲載の寺町二條下ル町了無と思われ,また二九代内蔵之函は,この系図を明も『京都御役所向大概覚書』6-6「諸職人之事」にみえる「禁裏毎年星仏差上下行米一石二斗を被下候寺町二條下ル町仏師内蔵助(蔵之介)や同書1-50「諸役寄宿御免許之事」に掲載の「一軒役御仏師寺町通二條下ル町大仏師蔵之丞」に該当すると思われる。(3) 拙稿「『隔冥記』にみる七条仏師の動向一康知・康看を中心に一(『関西大学博物館研究紀要』1平成7年3月)江戸の建築I・彫刻講談社平成3年10月)(5) 『叡山文庫文書絵図目録』比叡山延暦寺(叡山文庫)編臨川書店平成6年5なお同書所収文書の本文掲出については,年代〔記録者〕「書目」(頁数一番号)月三0代蔵之函とそれに続く竹内家三代を掲載。各仏師の代教,法名,事蹟のほか一治33年に京都国立博物館へ寄贈した八代竹内右門の初代にあたる仏師であるが,彼(2)毛利久「七条道場金光寺と仏師たち」(『仏教芸術』59号昭和40年12月)(4) 伊東龍一「日光東照宮の彫物と彫物大工」(『日本美術全集』16「桂離宮と東照宮」-143-

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