ヽノヽ~者は居住地からの呼称,後者は三陀羅法師の別号「千秋庵」による。次期の享和年間,北斎の摺物が江戸で流行した時期,その多くは三陀羅法師傘下・神田側の狂歌師達との関係下に制作された作品であった。享和元年以降,「画狂人北斎」落款の摺物には,各図画面上に作品名を記した連作が登場してくる。その一つに「七小町」がある。かつて『浮世絵大成』(1931)に一点のみ掲載されたが,今回七点全てを確認できた(日本浮世絵博物館蔵)。うち「きよみつ」(清水)には三陀羅法師の狂歌があり〔図3〕,「七小町」は三陀羅法師率いる神田側の摺物と判明する。三陀羅法師の署名下に添えられた花押は,『狂歌鯛」にも載るものである。この花押には注意を要したい。なぜなら市人の場合同様,三陀羅法師も自ら統率する神田側のマークにこの花押を用いているからである。北斎の摺物には,三陀羅法師の花押を画面に伴う連作がある。花押は画面上の作品名に冠せられ,「狂歌五色摺」(享和二年)「忠臣蔵」(享和二〜四年)「踊盛」(享和三年)の三種の連作が知られる〔図4• 5/部分〕。これらが神田側の依頼による摺物である点は,三陀羅法師の花押によって明らかである。また,これら三種の連作は下方隅に捺印された彫工印「待人工」も共通しており,同一の摺物工房によって完成され-6 -図3
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