鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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「1794年の共和国の祭典を記念するオワイエの作品は,「自由」の女神像に誓いを捧げる人々を描いている。サン=ピエール=オウ=パルヴィ教会前の広場で,背景にはノートル・ダム修道院の大教会の,先端のない塔が見える。その塔の上では労働者がつるはしをふるって教会を壊している。片手で槍,片手で赤い帽子を持つ自由の女神の周囲の崇拝者たちは,当時のいろいろな職業を示す服装をしている。……燃える薪にくべられているのは僧帽,王冠,笏,巻物,サン=ルイの十字架等々圧政の象徴である。……国民衛兵を指揮する侯爵は片手に剣を持ち,死ぬまで自由を防衛することを誓い,片手で像の台座に記された文字『自由,平等,しからずんば死』を指し示しているようだ。……少女がぶどうの実を捧げ,少年が小麦の束を捧げている。」雲とも煙ともつかない波瀾含みの青空と,それぞれの役割をきちんと演じているかのような崇拝者達の間で,2つの教会と自由の女像は灰色に押さえられている。台座は白いのに,女像はあまりにも黒っぽく,なぜもっと美しく偶像化しなかったのかと認しくなる。手にした自由を象徴する赤い帽子もずいぶんぞんざいな形をしている。あるいは頻繁に行われた革命祭典のために,急招えで据えられた石膏像のようなものを忠実に描写しているのだろうか。建築画家と称される割には建築の細部の描写が甘いので,未完成と見るべきかもしれない。ただ,1794年の「共和国の祭典」という具体的な革命祭典を記念して,捧げ物をする少年少女や,旧制度の権力の象徴を燃やす子供など,これほどまでに寓意的な作品が描かれたことは注目に値する。レアテュの場合以上に明白に,革命祭典と絵画が密接に結びついた作品と言えるのである。美術館ではこの絵の他に,オワイエの油彩が4点展示されていた。・《以前ノートル・ダム修道院だった建物の入口》1821年頃・《ソワソン,サン=ジュルヴェ広場における狼踊り》1820年頃・《ピエールルフォン城》・《ピノンの風景》いずれも,画面の半分近くを占めるドラマチックな曇りがちの空を背景に,建築物が明暗を作りながら構図良く屹立する,オ気溢れる小品である。しかしオワイエ自身についてはデッサンの教師をしていたという以外,新たな情報を得ることはできなかった。ソワソンの古文書館を調査して,オワイエの伝記と作品目録をまとめ,様式の変遷を分析する,レアテュにおけるジーモン夫人のような地道な仕事が必要なのである。-152-

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