鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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象徴する縁なし帽,「知恵」や「権威」を示すトライアングルの中の照覧の目,「勝利」のオリーブの冠,「武力」の槍などなど。伝統的な図像学を援用し,新しい時代精神で味付けした,こうした第一共和制下の主要な象徴が単独で表現されることもあれば,古代風の衣装を纏った女性立像や座像,つまり「自由」や「平等」や「共和国」の寓意像と共に表されることもある。また「人民」を象徴する楳棒を持ったヘラクレスや,人権宣言を起草する有翼の精霊と共に表されることもある。しかしそれもナポレオンが皇帝になった1804年を過ぎると,やがてナポレオンの横顔や双頭の鷲にその座を奪われることになる。革命の寓意から帝政の寓意へと変化していく様子は,ボップとボネが1911年,限定500部で出版した稀親本『革命期の寓意的なヴィニェット』に見られる,書類の頭部を飾る囲み模様の図柄の変遷と一致する。コインのより明確な図像変遷の経緯をたどる材料はないかと,パリに戻りさっそく造幣局美術館を訪れた。数年前から私は,革命期の「自由」の寓意像の持物として,古代ローマのピルレウス帽に由来し,リーパの『イコノロギア』に取り入れられ図像学の常識となった釣り鐘型の帽子ばかりでなく,古代の小アジアに起源を持ち,円錐帽の頭頂部の膨らみが前に倒れた形になるフリジア帽が使われていたことに注目し,以下のような指摘をしてきた。「フリジア帽は,本来,力を象徴することはあっても,ピルレウス帽が示すような自由の象徴性は認められなかった。しかし革命の進行につれて,形の類似からピルレウス帽とフリジア帽が混同されるようになっていく。」『国際服飾学会誌』no.11,1994, パリ造幣局美術館では,1795年に2デシム銅貨のためにフリジア帽を被る「自由」[図いるのを見学し,また1992年の同館での展覧会図録『共和国の祭典二百周年於造幣局』LAREPUBLIQUE FETE SON BINCENTENAIRE A LA MONNAIEを入手することができた。「自由」の寓意像とフリジア帽の関係について,同展図録では次のように記している。「自由の持物として初めてフリジア帽が現れたのは革命期のことだ。A.E.ジブラン由を示すものはもはやない。……革命当初は伝統的な丸い帽子とフリジア帽の間で5 ]の寓意像をデザインしたオーギュスタン・デュプレのことがパネル展示になってが1794年出版の論文『自由の帽子の起源と形』で述べたように,フリジア帽ほど自p.33 -154-

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