鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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AMERICAN A. 4 JUIE. 177 4」という文字の間に,ほつれ髪を風になびかせた若い人々はためらっていたように見える。……しかし共和暦3年か4年頃から,頻繁にフリジア帽が見られるようになる。」(p.11)私の指摘と同様の内容であり,心強い限りである。同図録は,版画や工芸品にあしらわれた「自由の帽子」を例示した上で,フリジア帽が広まっていく過程でデュプレのコインの果した役割を重視し,彼の経歴と作品の詳述へと展開していく。デュプレのような革命期の工芸作家については殆ど知られていないので,今回わかったことを記しておく。オーギュスタン・デュプレは1748年,サン・テティエンヌに生まれ,早くから彫金の仕事につき,武具作りの工房に雇われた。出世作となったのは,1782年に制作したフランクリン渡仏記念メダル《アメリカの自由》[図4]である。このメダルは「LIBERTAS.女性の横顔が,ピルレウス型の帽子を先にかさ‘‘した槍と共に表現されたもので,その伸びやかで端正な美しさはリヨン美術館のコレクションの中でも目を見張ったものだった。この作品がフランスばかりかアメリカでも評判となり,革命初期にデュプレはエ芸家として著名になっていた。その才能に加え革命を支持する思想を有していたことが幸いしたらしく,1791年には貨幣彫刻長官Graveurgeneral des Monnaies de Franceの地位につく。1793年に発行した24リーブル硬貨[図5]では早くも,人権宣言の板,目,鶏,束棒,フリジア帽といった革命の象徴を駆使している。そして1795年に発行されたのが共和国フランスREPUBLIQUEFRANCAISEの文字の間に,女性の横顔を配した2デシム銅貨[図5]である。飾りは頭部を覆う自由を示す帽子だけで,この帽子は丸く膨らんだ図4革命期のコイン・メダル・コレクション上中央デュプレ《アメリカの自由》リヨン美術館-155-

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