ヽノVI. Des Phrygiens)を取り上げている。古代ギリシア・ローマの古典に対する教養を頭頂部が前に倒れ,首の両側と後ろを覆う垂れが付いた典型的なフリジア帽である。完成度の高いすっきりした図柄で,人気も高かったのだろう,第一共和制下で何回も鋳造されている。またヴァリエーションとして,垂れのない短いフリジア帽で同様の女性の横顔にした,1サンチーム貨も発行している。とは反対に,彼はまさに革命で力を得,第一共和制下でのみ厚遇された美術家であった。帝政及び復古王政期には忘れられてしまう。しかしながら,デュプレの作品は蘇る。第二共和制から第三共和制の硬貨で,デュプレの2デシム銅貨の図柄がしばしば鋳造され,多くの彫刻家が自由の象徴として同じ図像を使い続けるからである。さて,デュプレは1782年の《アメリカの自由》ではピルレウス型の帽子を描いているが,1793年の24リーブル金貨では垂れのないフリジア帽,1795年の2デシム銅貨では垂れのあるフリジア帽,1サンチーム銅貨では垂れのないフリジア帽を採用している。デュプレがフリジア帽を採用した背景として図録の執箪者は,彼の書庫に保管されていた古代フリジア人の服装を示した図版(Bernardde Montfaucon; Tome Troisieme, 要求された当時の美術家が,いかにして古代美術を学んだかを物語る資料として,この図版の発見は重要である。しかしこの図版の呈示だけでは,「自由」の持物がピルレウス帽からフリジア帽に変化した1794年前後の社会的,美術史的要請を証明したことにはならない。この点は今後も検討課題である。1803年,ボナパルトの命令で彼は貨幣彫刻長官の地位を追われた。前述のレアテュ/ \ 図5革命期のコイン・コレクション上左デュプレ〈1793年の硬貨〉下左・下右デュプレ〈フリジア帽を被る自由》リヨン美術館-156-
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