鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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いすずがわた事実が解かる。北斎は神田側の狂歌画像集『五十鈴川狂歌車』(享和元年・三陀羅法師序文)にも描いた。これらの狂歌集等を頼りに狂歌師を検索照合した結果,享和年間における北斎の摺物連作には,神田側の狂歌師が圧倒的に多く登場している事実か判明した〔表〕。北斎が摺物によって「独流の一派」と評された当時,その主たる支持母体は三陀羅法師傘下の神田側狂歌師達だったのである。また,北斎は神田側の摺物に様々な試みを行っており,享和三年の摺物では隅田川に添って画面を横に連続させる手法を用いている。この手法が後年の狂歌集『隅田川両岸一覧』(刊年未定・文化三年頃)の挿絵に通じていることは言うまでもない。図4図5〔部分〕図5-7-

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