家として,前述のDeinomenesなど数人の名がPausaniasなどに記されているが,前4世紀中頃に属するのはNikiasだけである。従って前360年頃のApulia陶器(羽田1995,挿図14)に現れるIoとArgosの形はNikiasの《Io》の反映であるか,又はNikiasはこれら陶器画に見る図像タイプを発展させて自分の《Io》を作り出したか,いずれかと考えられ,Nikiasの原作の制作年代は,前者の場合には前360年頃まで遡り,後者の場合には前360年以後と推定される。そのいずれにせよ,彼の作品をこのようにIo神話の図像史の中に位置づけると,彼が先行作の様々な形を継承して自分の《Io》を創造したことが分る。Nikiasは互いに対立し合う2組の人物,HeraとIo,HermesとArgosをそれぞれ1つの形の中に凝縮して表したことになるが,それは語りと暗示の技法として機能しているだけでなく,Heraionにおける《Bouphonia》をその生成の場とし的に内包していることをも明らかにしている。紀元前4世紀,クラシック後期には,形の継承が積極的に意味の継承をも伴っている場合があり,それが美術において神話の語り技法として機能していることを証明することを,筆者は意図しているのであるが,上に略述したIoに関する考察(羽田1995)と先に発表したAndromedaに関する論文(「絵画くAndromeda〉の歴史」地中海学研究16(1993), 3-60)だけでは未だ説得的ではないかも知れない。2年目はAmymoneを主題とする神話画について考察して,この仮説を補強する予定である。たIo神話が,Hera=Io, Hermes= Argos= Zeus,この2組の同一性と分身性を構造-161-
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